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私自身さえも“他者”に。

何かにイラッとした時。
もやっとした時。
どうしようもなく自分を嫌になってしまった時。

死にたいと、思ってしまった時。

どうしてそう思ったのか、自分にたくさん問いかけるようにしています。

今までの私は、その時の感情だけに正直に生きてしまっていたと言っても過言ではありません。

だから、イライラしたときは家族にあたってしまう。
辛い時に目の前が見えなくなる。
とにかくとにかく、マイナスの感情に飲み込まれてしまう。

もしかしたら、大抵の人はそれを理解して生きてきたのかもしれないけど。
私がそれに気づいたのは、情けないことに最近のことです。

「あ〜、もう無理」

って感じたら。

「なんで?」
「どうして、そう思ったの?」

って。
周りの人に接するように自分との対話を試みるようにして。
自分自身を周りと同じように扱う。

私は自分のことを考える時、どうしたって自分を雑に扱ってしまうから。

もう一人の自分と会話する、じゃないですけど、客観視って本当に大事。
なんだかこういう話はよくしている気がするけど。

自分のためにも、何度だって言いたい。

自分のことを好きになるとか大事にするとか、今でもよくわからない。
けど、私は、友達のことは大事するし、何か価値観が合わなかったとしても、喧嘩したとしても、大切に思っている。
家族が好きで、たまにイラッとすることはあるけれど、大切に思う気持ちの根底が揺らぐようなことは、ない。
私は、私を好きでいてくれる人みんなが好きだ。

他者に対してそう思えるなら。
自分以外にはそう思えるなら。

私自身をも"他者”にしてしまえばいい。

たかがそれだけっていうか、ほぼ思い込みなだけだけど、一瞬でも自分自身から離れて自分を見られるだけで、気持ちが落ち着くことがあります。

私をわかってやれるのは私だけだから、しょうがないって。
誰にも叫べない気持ちを、"自分だけ”は聞いてやることができるから。

くだらないかもしれないけど、変なやつかもしれないけど。
こんなことをしながら生きているのも、どうせ私しか知らないんだし。(今全世界に発信してしまったけれど笑)

考えるのは、自由だよね。

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