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推しが人生の全てだった話
推しが人生の全てだった。
本当に、私の思考の9割、いや10割を占領していたといっても過言ではないくらい。
私の、原動力の全てでした。
中学の頃、所謂"推し"に出会いました。
その前から、好きな物や芸能人がいた事はありましたが、俗に言う「追っかけ」を始めたのが中学3年の頃です。
ネット上で活動するグループの中の1人の活動者さんでした。
丁度、友人関係も家族関係も何もかもが上手くいかず心が病み始めていた頃でした。
リアルで居場所を失いかけていた私にとって、ネットの世界は新たな心の拠り所になりました。
「現実で居場所がない人が帰れる場所になりたい」というグループの活動名目に、私の弱かった心は惹かれていきました。
ネットの世界は楽しかった。
推しの配信や歌を聴くのはもちろん、私の人生において、明日を生きていく活力になりました。
人間関係の依存
なにより。
その活動者さんやグループを通じて、同じ「追っかけ」をするファンの人たちと、ネット上で繋がったことが私に大きな影響を与えました。
ネットで出会う人たちは、リアルで意地悪なことを言う人たちとは違いました。
私と同じように心の拠り所にしている人も沢山いた。シンプルに活動者さんが好きな人ももちろんいたけど、私と似たような境遇の人が多かった。
私はそれがうれしかったのです。
私と好きなものが同じで、いつでも、どこにいても心を通わせることが出来る環境に居心地の良さを感じるのは、至って自然なことでした。
これならもう、リアルで友達なんかいらないじゃないか。
そう思ってしまったことさえあります。
そうして、私はネットで新たな人間関係を育み、のめり込んでいました。
金銭面の依存
続いては、金銭面。
高校に入ってから、私はバイトをすると決めていました。
理由は単純、推しのグッズが欲しかったのです。
定期的に開催されていた彼らのライブにも、行ってみたかった。
バイトを詰め込み、とにかく働きました。
稼いで稼いで、稼いで。
始めて自分のお金でグッズを買った時は、本当に嬉しかったです。
そこで、私の収集癖に火がつきます。
もっと欲しい、全部集めたい、が加速していきました。
更には配信での投げ銭。
当時、配信中に投げ銭することで、コメントを読んでもらえたり、名前を呼んでもらえるシステムがありました。
私はこれがやってみたかったのです。
1度投げ銭してしまうと、ハマってしまうのは必然でした。
最初は配信を聞いているだけで良かったのに。
投げ銭すれば、名前を呼んでもらえる、私の存在を認めてもらえる。
そんな喜びが、私の承認欲求をどんどん高めていきました。
そうやってさらにかさんでいくお金も、日々のバイトでなんとか賄ってきました。
推し以外にお金を使うことがなかったので、なんとかやりくり出来ていました。
他のものにお金かけるくらいなら、配信で投げ銭したいしグッズ買えるよね、の思考です。
客観的に見れば、病的だったかもしれませんね。それだけ、推しに心酔していました。
でも、働こうと思えたのは推しがいたからで、バイトをしたからこそ、コミュニケーション能力や視野を広げることを身につけられました。
推しがいたから、成長出来たことも、確かに存在しています。
見た目すらも
やがて私にも、身なりを気にする時期がやってきます。
高校2年生頃のことです。(遅い笑
段々とグループの活動規模が大きくやって行く中で、対面でのイベントが盛んになってきたのです。
握手会やら、お話会やら。
もう、ぜっっっったいに行きたくて。
私の心を救ってくれた、生かしてくれた推しに、直接ありがとうを言いたかった。
無事、行けることになったのですが、ここで問題発生。
私自身が、あまりにも芋過ぎたのです。
校則が厳しかったこともあって、メイクなんて何一つやったことがありませんでした。
色つきリップで喜んでいるようなお子さまです。笑
当時の人生の全てであった推しに会いに行くのです。
当然、身なりに気合を入れたくもなります。
着られればいい、と思っていた服を、自分から選びました。
色つきリップも、卒業です。
とりあえず、ダイソーでメイク道具を一式買い揃えてみたり。
15キロのダイエットだって、成功してしまったのです。
そして当時、リアルで唯一同じグループを追っかけているファンの友達がいたので、彼女と共に鏡の前へ立ちました。
自分の顔とひたすら向き合って、メイク練習を重ねていました。
ここでもまた、推しに助けられた(?)というか。
推しがいたから、自分のルックス面も高めることが出来ました。
ダイエットの成功経験や、変わっていく自分の見た目の変化をみて、私はほんの少し、自分を好きになれました。
でも、追っかけをやめた
単刀直入に、疲れてしまったんですよね。
初めはリアルで消耗した心を、癒すための場所でした。
それが、いつの間にか居心地の悪さを感じた、というか。
私は、ネット上でもさまざまな点において、他者と比べるようになってしまったのです。
____
例えば、我が家は23時以降スマホが見れないルールがあったので、深夜帯の配信が見れませんでした。
推しと時間を共有出来ないことは、私にとって苦痛でした。
そして、他のファンはその配信を見ている、繋がった友だちはその配信を見ている。
朝起きて、ファンたちの配信の感想ツイートを見る度に、自分だけ仲間外れにされているような気分になりました。
配信に行くことが、自分の中で半ば義務になってきている感覚がありました。
____
他には、配信での投げ銭も。
バイトしていたとは言え、当時高校生だった私に出来る投げ銭なんて、たかが知れています。
そして当然、推しには社会人のファンもいる訳で。
どうしたって、子供じゃ大人には勝てない。それを思い知らされたようでした。
ただそれだけの事実だけれど、私にとっては些細なことじゃありませんでした。
____
見た目も、同様に。
似合うメイクや憧れの服を模索するうちに、自分の見た目の不出来さに気がつくようになりました。
それまでの私は恥ずかしいことに、容姿に自信がある、とまではいかないものの、悪くは無いという自負がありました。
ちょっと可愛いとも思っていたかも。
でも気がついたら、顔を見つめる度、インスタで可愛いオタクを見つける度、劣等感に苛まれるようになっていました。
可愛くない自分でも、きっと可愛くなれるはずだって頑張って、自分に自信を持ち始めていた頃だったのに。
あっという間に、自己肯定感は破壊されていきました。
____
こんな感じで、私は推しを推すことで、心を追いつめてしまいました。
どこに行ったって、私は、私自身の本質は、変わらなかったみたいです。
心が壊れきる前に、私は距離をとる事にしました。
どうしようもなく自分を見失う前に、Twitterをログアウトしたり、配信に行くのをやめたり、とにかく推しに関連するものを一切遮断してみたのです。
そうして、ひたすら自分に向き合いました。
この辺りで、自分の思考のクセなどに気が付きます。
↓
リアルで追い詰められて、ネットに逃げて、ネットでも追い詰められ。
そうしてやっと、向き合わなければならないのは自分自身であると気が付いたのです。
そうして私は私自身と精一杯向き合って、考えて考えて、考え抜きました。
少しずつ自分のマインドを見つめ直した私は、その上で、再度推しと向き合うことにしました。
距離をとってみて分かったことは、やっぱり私の推しは、私の推しだった、ということでした。
歌は好きだし、推しのゲーム実況を見るのは楽しい。
その一方で、配信はまあ良いかな、と思うようになったのです。
忙しくて、いつも見られないし。
いつも見られないと、ついていけないこともあって、どうしたってその疎外感は払拭出来なくて。
純粋に楽しめるコンテンツだけ、受け取ろうと思いました。
もうこの時既に、2次元やらで別の推しもいたのですが、そちらに対しても同様のマインドで向き合うことにしたのです。
今までの私からは考えられなかったけれど、時間をかけて距離をとったことで私の時間に、人生に、少しだけゆとりができました。
時間の余裕はそのまま心の余裕に直結しました。
以前の私は、自分の心と向き合わずに、ただただ推しという"他者"に自分の人生を預けきっている、無責任な人間でした。
依存するって、きっとこういうことなんだろうなって痛感しました。
他者に自分の人生を委ねてはならない。
他者に、私の人生の手網を握らせてはならない。
自分の手網は、自分の手で握らなくては。
私の人生の全ては、結局は私でなくちゃね。
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