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変われなくても変えられたこと

前回は、自分がメンタル面でやられた時のかなり暗い話をしてしまいましたが、今回は当時の思考の問題点などを書いていこうと思います。

前回の記事はこちら↓


負のスパイラルを自分で作っていた

当時の私は本当になんでも悪いように捉えていました。

例えば、
何かイライラする出来事があった

ストレスで家族にあたってしまった

くだらないことでイライラしてる私ってなんて心が狭いんだ

家族にもあたってしまってサイテーだ、消えてしまいたい

みたいな感じで。
そこからさらに、今とは全然関係のない過去の失敗や嫌な出来事を思い出して、さらに自分を蔑んで。

そうなるともうほとんど何も客観視できなくなって、その後の全ての出来事に対してマイナス感情が止まらなくなってしまうんですよね。


マイナスは受け取るのにプラスは拒絶していた

これもかなり心がしんどくなった原因だと思っていて。
当時の私は、批判や自分を否定される言葉全てを真っ直ぐ受け止めてしまっていました。

むしろ、おっしゃる通りだって感じで自分すら共感してしまって。
逆に何かで褒めてもらうことがあっても、素直に受け入れられませんでした。

いやいやどうせお世辞でしょ?本気で思ってる?って。

努力を褒められたことがあっても、自分自信が努力できたと感じていないため、「この程度しかやってないし、もっと頑張っている人がいるのに。」と思ってしまうんです。
こんな私のことなんか認めないでって。

人からの好意すら、受け取ることができなくて。

なぜこの人は私に優しくしてくれるのか。
なぜ友達でいてくれるのか。
こんな私と関わるメリットが、どこに・・・?

人間不信ほどではないけれど、それに近い状態だったのかもしれません。

だから無意識的に悪い言葉ばかりを拾っていて、そしてそれにいちいち傷ついている、そんな日々でした。


自虐で予防線を張っていた

まあそんな感じで否定的な思考をベースに生きてきたものですから、他者に評価されるのがとにかく怖くて。
自発するときには必ず自虐や言い訳で自分を守っていました。

「全然上手くいかなかったんだけどね」
「私めちゃくちゃ下手だから」
「時間がなくて」

って。
一応プライドとか見栄なんかはあったんでしょうね。
何か言われる前に、自分が否定されても仕方がない逃げ道を作っていました。


結局、自分が1番自分を攻撃していた

否定されないように、否定されないようにってそればかりですが、中学を卒業してから悪口を言われたり心ない言葉を投げかけられることはほとんどなくなっていました。
でも、高校から専門学校に入るにつれて、自分を否定する言葉はどんどん増えていきました。

これはどういうことか。

他でもない、私自身が否定し続けていました。
自分で自分をブスだと罵り、自分で自分をクズだと蔑む。

自分が1番自分を見ているわけですから、嫌なところもダメな部分も全部理解しています。
だからこそ、言葉も容赦なくて。

死んでしまえばいいとか、何もできないくせになぜ生きているんだ、とか。

そうして私が投げたものは、私自身が受け取ります。
前述した通り、当時の私はマイナスを過剰に受け取る思考を持っていましたから、そんな自分の言葉にすら、無意識下で傷ついていたのでしょう。

自分が自分を1番嫌いで、四六時中心ない言葉を投げていたそれは、まさに言葉による自傷行為そのものでした。

私は変われたのか

わかったようにあれこれ書き連ねていますが、実際のところ思考が変わったかと問われれば、そうでもないことが多いです。

自分のことはまだまだ好きではありませんし、私に良くしてくれる人への「なぜ」という疑問は持ち続けたまんまです。
発言前に予防線張りまくるし、人からの言葉を気にしてしまうことも多いです。

私の実力が変わったわけでも見た目が変わったわけでもありませんし。

前回の記事でも話した通り、私は人に頼ることができませんでした。
全て、自分でどうにかするしかなかった。

だから私は、ネットで似たような気持ちを抱える人や、そこから改善していったたくさんの人の声を聞きました。

たくさん共感できることがあったし、参考になったし。
何より初めて、自分だけが抱えているわけじゃなかったことが、不謹慎ながらも少し嬉しかった、というか。

そうしてたくさんの人の経験や気持ちを見ていくうちに、自分と客観的に向き合おう、と考えられるようになりました。

どうしようもない自分だったけれど、とにかく自分の思考に向き合い続けました。
どうして自分は自分を下げてしまうのか。
なぜ辛いと思うのか。

具体的な自分の感情について詰めて詰めて考えました。
そうして、今回話したような自分の思考の良くないクセが少しずつ見えてくるようになって。

クセがわかってくれば、意識的にその考えを変えていくことができます。
例えば、褒め言葉を素直に受け取ってみる、とか。
自分で自分を蔑むのをやめる、とか。

一方で、その思考を持つことをやめてはいけない、とも思うのです。
ときには自分に喝を入れるべきこともありますし、批判を聞くことがためになる場合もありますしね。
だから、私は思考を"変える”のではなく"増やす”ことにしました。

その時々に合わせて、自分が苦しくなりすぎない考え方にシフトチェンジする。

決して簡単なことじゃありません。全くもって。
だって、今でも負の感情に飲まれそうになることがあるくらいですから。

でも、そうやって客観的に自分と向き合って考え方を意識するだけで、徐々に心にゆとりができるようになって。
ゆとりがあれば、さらに深いところまで、考えて、思考を整理することができます。


また苦しくなることが、辛いことがあった時、同じ方法で乗り切れるかはわかりません。

でも、私はこれまで、たくさんの負の感情を抱えて生きてきました。
そして、それを少しずつ自分の中で昇華できるようになってきた"今"があります。

私は、自分の思考の癖を知ることができた。
客観的に自分と向き合う術を知ることができた。

それだけで、私は過去のどんな経験も、あって良かったとすら思えるのです。

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