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人間関係構築術。9「大いなる空洞」

夜の投稿がデフォルトになってきておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
突然ですがワタクシ、色々な人の投稿を見るたび悔しくなっています。

文章が上手い。
見惚れるようなレイアウト。
志が高い。
経験豊富。

某うさぎみたく

「ムキーーーーーーー!!!」

となっております。

昔からの悪癖だ、と自認しております。
他人の実力を認めたくないのではなく、認めているからこその、羨望、嫉妬。実に様々な場面でこうなりたいなぁ…ああなりたいなぁ…と、人生で幾度思ったか知れません。


小3の時に、お気に入りのスニーカーの絵を描いた。学区内4つの小学校の合同展覧会で金賞をもらった。絵を描くことの楽しさを知った。
中1の時に、美術の時間にイラストレーター志望の男の子が描いたクロッキーを見せてもらった。自分の絵がただの落書きに見えた。

小6の時に、百人一首の和歌を全て覚えた。校内のかるた大会では4対1でも相手を負かした。正月に親戚みんなでかるたをした時、どの大人よりも多く札を取って褒めそやされた。
中1の時に、校内でかるた大会があった。別の小学校に通っていた女の子と当たった。たった8枚しか取れなかった。かるたが自分の得意リストから消えた。

中学3年間を通して自主的に勉強しなかった。それでも成績は常に上位で、当時県下トップクラスの高校に進学した。他の同級生がコドモに見えた。
高校入学後、ユーモラスとインテリジェンスを兼ね備えた鬼才・天才・秀才…とにかく才に溢れる人間たちに囲まれた。凡才の自分には道化の道しかなかった。


こうして思い出しながら書き連ねていると、なんだか胃液が込み上げてきます。笑
できるだけ古い記憶を…と掘り起こしてみたら、自分は小学生の頃から今に至るまでそんなに性根が変わっていないんだと思い知らされました。最初に述べたように、自分よりも1枚も2枚も上手な人を見ると、羨ましさと妬ましさがどうしようもなく込み上げてきます。
30代も半ばだというのに、この自分の心の内から湧き上がるマグマのように熱く、未熟な果実のように青い情動をうまくコントロールできていません。

でも、
羨望の眼差しを向けたからといって、
嫉妬に身を焦がしたとして、
僕はその相手と関係を切ることは絶対にしません。
むしろ進んで関係を取り結びたいとさえ思います。
そういう人達から学ぶことが多いから、という理由もありますが、最も大切なのは

「自分の内にある空洞」に気づけるから


という理由です。
相手に比べて自分はいかにスカスカなのか、いかに努力が足りていないのか、省みるいい機会になるのです。
卑屈になれという訳ではありません。
自らの不足を絶えず点検すること、次なるアクションを起こすための起爆剤として羨みと妬みを溜め込むこと、それらは生きていく上で必要な事だと、僕は考えています。
また、そうやってポジティブに捉えることで相手との関係を良好に保つこともできます。
誰であれ、僻まれたり、あらぬ言い掛かりをつけられたりするのは気持ちのいいものではないですし、そんなことをしてもますます自分の「空洞」が暗く、深くなっていくだけです。

大いなる空洞。


自身の不足はそのまま伸び代である。
まずは認めましょう。
空洞はその広さゆえ、可能性に満ちています。
あなたはまだまだ、できるはず。

もちろんこのマインドセットは、自分にも言い聞かせています。

明日も頑張りましょう。
それでは。

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