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人間関係構築術。7「ライブ感」

ヤバいです。
激ヤバ。

元国語教師にも関わらず曖昧な日本語を使ってしまいました。
それくらい追い詰められています。冷や汗が止まりません。
落ち着いて正確に現状を分析しないと…
これはまずい。非常によくない。

だって…

ついにnoteのストックが底を尽きたんだもん。笑

どうしよう。
何とか1日1投稿を続けようと毎日ネタを考えていたのに…
このままではコンテンツが破綻してしまう。
ファンの皆様(いないかもしれんが💦)に愛想を尽かされてしまう。
いつもなら絶対に挟まない時事スキャンダル↑で間を持たせようとする始末。


ここではたと思い当たりました。
これは教師をしていて、コアティーチャーとして研修を受けていた時のこと。
ベテランの女性教諭の方に、「授業で何を大事にしているか」を教えていただきました。
彼女の答えは


そう

「ライブ感」


でした。

クラスによって生徒たちのリアクションが変わる、扱う教材によっても理解度に差が出る。それらは当然として、「一回一回の授業で起こることもまた違う」のだと。生徒の側から思わぬ質問が寄せられたり、こちらが想定していなかった答えを発表したり…その時その時で、臨機応変に授業の仕方を変えていく必要がある、と。

この時僕は、漠然と
「なるほどねぇ…するってぇと、何が起きても動じたりしねぇで、その場に対応する力を会得しなくっちゃいけねぇってわけか。こりゃまた、てぇへんだ」
と思いました(江戸っ子フィルター使用済)。

ですが今になって、違った解釈も可能なのではないかと思いました。
「ライブ感」というのは、「想定外の事態にうまく対応する力」という意味だけではなく、

「『そう』なった時にしか発現し得ない一回性を楽しむ」

ということではなかったのかと。
想定外の質問が来たりして焦っているその様、斜め上の解答が返ってきた時に頭を抱えるその様、それらを教壇からありありと見せつけることで、生徒たちは「先生も人間なんだ」「俺の答えが先生を悩ませてる!やった!」と思うでしょう。
これは、昨日のトピック「スタッフさんも人間」に通ずるところがありますね、偶然にも。
オーディエンスも、緻密に計算され尽くした完璧なものだけを求めているわけではない。時には、その時その場にいたものだけが目撃できるハプニングというレアイベントを経験したいとも思っているはず。
そういうマインドを持っていれば、「だったらこっちも、この追い込まれた状況を楽しんでやらぁ!」と腹を括れるってもんです。もちろん、最大限パフォーマンスを高めようと努力して、ですけどね。捨て鉢とは話が違うので、ご注意ください。

さて本日は

「ピンチの時でも、なすべきことをなす」
「ライブ感を楽しむ」

の二点をお届けしました。
またお会いしましょう…

…迷いが生じてきてます。笑

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