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【永遠の謎】何故、おじいちゃんやおばあちゃんはお小遣いをくれるのか?


私は幼稚園の頃から祖父・祖母に会うたびに
お小遣いをもらっていた。

そして現在も会うたびにもらっている。
笑顔でお小遣いをくれるのである。
この間も、5年以上会っていない親戚のおばあちゃんにお小遣いをもらった。
もらうたびに思う。

「何故くれるのか?」


私はこの疑問を10年以上研究し続けているが、
いまだに明確な解を、自分なりの理解を出せないでいる。もちろん、これに正解はない。

そのため、今回の記事では現時点での理解と
それに至った経緯を説明することを目的とする。

11年前…

私が小学2年の頃、
曽祖母に5000円札をもらった。

月のお小遣いが500円のガキである私にとっては、かなりの大金だった。

コロコロコミックが10ヶ月連続で買える…
DSのソフトが一つ買える…

触れたことのない大金に、
期待に、
胸が膨らんだ…


しかし、

私は思った。

「何故、私のようなガキに理由もなくお金をくれるのだろうか?」

「よほどの金持ちでもない限り5000円ほどの大金を理由もなしに使うことは考えられない」

当時、私は親族の間で“愛想の悪いガキ“として定評があった。

大人から、「子供らしくない」「可愛くない」などとよく言われた。
それは自分でも自覚していた。

だから分からなかった。

何故、お小遣いをくれるのか?
可愛くないガキにお小遣いを渡して何の意味があるのだろうか?


私は曽祖母がお小遣いをくれた理由を理解するまで、それを使ってはいけないと思った。


全ての物事には
例外なく意味があり、
成立する理由がある。


曽祖母なりの考えを、理由を、理解せずに
5000円もの大金を使うのは失礼だと思った。


考え続けた結果…


約10年が経過した。


私には初めての後輩が出来て、
自分より年下の従兄弟が生まれた。

可愛かったのだ。

後輩には毎日のようにお節介を焼き、従兄弟には毎週会いに行った。

そこに存在したのは、理由のない愛である。
何故、自分がこんな気持ちになるのかは分からない。
理解することすらおこがましいと思えた。

今なら曽祖母の気持ちが少しだけわかる。

したがって、

「何故、おじいちゃんやおばあちゃんはお小遣いをくれるのか?」という疑問に対する、私の現時点の理解は以下の通りである。

1.可愛いから

2.何かしてあげたくなるから

非常に浅学非才に聞こえるが、これ以上も以下も無くこれが全てである。

恐らく。


小学2年生の頃の私は、
「人間の持つ優しさの裏には、
 何かしらの損得感情がある」と疑っていた。
だからわからなかったのだろう。

理由のない優しさ、愛
少なくとも必ず存在する。

なんやかんやで私は可愛かったのだろう。

そして、


11年前に受け取った5000円に理由など存在しなかったのかもしれない。。

前述した、
『全ての物事には
例外なく意味があり、
成立する理由がある。』
という理論には矛盾するが、もしかすると"お小遣いを渡す"という行為そのものに理由など存在しないのかもしれない。

以上。

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