いつまで日本以外を「海外」でひとくくりにするつもり? ~ここがヤバいよ日本人~
海外の人って陽気だよね
海外って日本ほど衛生的じゃないよね
海外って治安やばいよね
海外の料理ってスパイスめっちゃ使うよね
海外って――
日本語話者として色々な人と会話をしてきた方々は、
このような言い回しにこれまで何度となく出会ってきたことでしょう。
もしかしたら、あなたも使ったことがあるかもしれません。
恥ずかしいことですが、私も使ったことが何度かあります。
しかし、よく考えてみると、日本以外を「海外」で一括りにするのは、想像以上に乱暴で無知なのです。
今回はそのことについてよく考えてみましょう。
世界の現在の国の数は、195~200以上。
政府によって認知している国の数が違うので、振れ幅がありますが、ここでは分かりやすく200としておきましょう。
もうすでに、200もある特別な国々を「海外」という1でまとめてしまう不条理さに、気づいているかたもいるでしょう。
ですがその前に、「海外」という言葉の使われ方のパターンを見てみましょう。実は2つあり、よくない使い方はそのうちの1つだけです。
地理的に日本以外であることだけが重要な場合:
「あの人、海外転勤になったんだって」
「海外旅行行ったことがないんだよね」
「このたび海外留学することになりまして・・・」
上の例はすべて、その行為が日本国内では行われないということが重要で、必ずしも世界中の全ての国に一つの性質を割り当てているわけではありません。
「海外旅行に行ったことがない」ということを言うために、200カ国をすべて例として挙げるのは実質的ではないからです。
しかし、「海外」という言葉の使われ方が悪質さを増すのは、冒頭でも述べた以下のような例においてです。
日本以外の国々にひとつの性質を与える場合:
海外の人って陽気だよね
海外って日本ほど衛生的じゃないよね
海外って治安やばいよね
海外の料理ってスパイスめっちゃ使うよね
海外での日本の評価っていいらしいよ
ドキっとした人もいるのではないでしょうか?
おそらく「海外の人って陽気だよね」と発言した人は、ハリウッド映画や、ボリウッド映画、その他メディアに切り抜かれた同じステレオタイプを助長する「海外の人」を想像しているのでしょう。
この人にとっては、「海外の人」という人物像がはっきり想像できているので、なんらの矛盾も感じないのでしょう。
「海外って日本ほど衛生的じゃないよね」は、オンラインでもオフラインでも近年よく耳にする言葉で、ここまで来ると少し人種差別の香りがしてきます。
おそらくウォシュレット文化や、街頭を掃除してくれる方々や、メディアで取り上げられる「日本は清潔でビックリだよ」という旅行客の発言、さらには諸外国の一部の不衛生な場所の映像や写真を念頭においてのことでしょう。
しかし、清潔な水、空気、その他環境保護の側面での質の高さを計測しランキングにしたWEFの調査(2022年)によると、日本は上位10位にも入っていません。
デンマーク、イギリス、フィンランド、アイスランド、オランダ、フランス、クロアチアなどの国々に続いて、日本が現れるのは25番目です。
決して悪くない順位だとは思いますが、日本よりも上位の24カ国を差し置いて、「海外って日本ほど衛生的じゃないよね」と言ってしまうのは、乱暴がすぎるでしょう。
しかも、このランキングに限って言えば、日本より下にランクインした国々も、スコア的には拮抗しているので、このような発言の合理性はほぼ残りません。
同様のことは、治安や料理についても言えるはずです。
共通しているのは、確固たる客観的根拠がないのに、日本の一部の事象や印象を、他の国の一部の事象や印象、もしくはステレオタイプに照らし合わせて、日本の(常にいい意味での)特異性を強調しているという点です。
世界200カ国を「海外」と一括りにし、それを日本と比べることは、日本という国が絶対的に特別であり、多くの場合において優れているという意思表示です。
もちろん、日本は特別な国でしょう。しかし、それと同じことは、世界のすべての国に対して言えるのです。
すべての国は独特であり、特別です*。
すべての国に政治があり、国民があり、国民は意思を持った個人の集まりで、文化もあれば伝統もあり、家族もあれば幸福も悲しみもあります。
何も宗教じみたことを言うつもりはありません。ただ、そういうごく自然なことをみなが常に意識していれば、「海外」などと一括りにして、一つの性質を与えることなど起きえないはずなのです。少し厳しい言い方にはなりますが、そこには、無知と、思いやりの欠如、想像力の欠如が表れているとも言えるのです。
私も、「海外」という言葉を禁止してやろうというつもりは毛頭ありません。冒頭でも述べた通り、すべての使われ方が悪いわけではないのです。
気づいて欲しいのは、たかが言葉、されど言葉ということです。
なにげなく使われる「海外」という言葉には、なにげなく使われているからこそ気づかれない意味と意図があるのです。そして、たとえあなた個人が、「世界200カ国に一つの性質を与えよう」という考えを持っていなくても、惰性や利便性からこの言葉を使っていて、誰も立ち止まって考えないのなら、発言者も聞き手も、ずっと使い続けるでしょう。
ずっと使い続ければ、「海外」という概念に対する、根拠の無い恐怖や嫌悪、固定観念がずっと膨れ上がっていくことでしょう。
最後に、この記事のサブタイトル「ここがヤバいよ日本人」について。
気づいていた人もいるかもしれませんが、読者すべてを「日本人」として一括りにしています。
「日本人」は、一人一人が特別なはずなのに、こう乱暴にまとめられてしまっては、あまりいい気分にはならないはずです。もしくは、ちゃんと表現はできないものの、なんとなく違和感を抱いたかもしれません。ちょっと個人的に名指しされ、攻撃された感覚もあったことでしょう。
少し意地悪ですが、あえての逆説的なサブタイトルにしてみました。
次に「海外」という言葉が喉から出かかった時には、その言葉で表現したい本当の意味をもう一度よく考え、特定の国名に置き換えてみてください。
もし、特定の国名に置き換えることができなければ、乱暴にひとくくりにしようとしている証拠かもしれません。
(ただ、国をひとくくりにするのも考え物ですので、注意を)
脚注:
*「すべての国は独特であり、特別です」:
この文章を読んだ時に、少しでも「そうではないかもしれない」という考えが頭をよぎったのなら、「海外」と一括りにする傾向の原因は、想像以上に根深いのかもしれません。
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