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知ること     ガスキ

 知ることが好きです。
 きっとnoteにいる人は大半がそうだと勝手に思い込んでるくらいには、それは楽しいことだ思います。(所謂知的好奇心ってやつでしょうか。)
 わたしには知らないことが沢山あります。好きと豪語するこの世界のことを、わたしは殆ど知らないで生きているのです。
 そうだからと言って、知っていることについて得意になったり、新たに知ったことを幼児の如く嬉々として「利用」することを憚るつもりはありません。
 知ることは不可逆だと仰った方がいらしたのですが、果たしてそうでしょうか。わたしは疑問を抱きます。
 なにせ、つい数時間前に、自分の忘却を目の当たりにしたのです。「セイロンティーのセイロンという言葉は産地由来の名」だとか、スリランカが何処か、などという実に微細で密度の低い情報ではありますが、わたしはそれを忘れていました。「セイロンはスリランカの旧国名及びその主たる島の島名」という先ほど知った情報も、そのうち忘れてしまうのかもしれません。

 わたしは知らないことがたくさんあります。著名な思想家や哲学者、文豪の本など、殆ど読んだこともないのです。そしてこの世界で実際に営まれている人々の生活のあらましもやはり、殆ど認知しないで生きています。
 わたしはきっと多くのことで間違えているでしょうし、これから先も多くの誤りを犯すことでしょう。
 わたしは生きられる限りはそのことに向き合っていこうかという方針策定についてまじめに考えています。とはいえそこには疑問があります。
 知っているというだけで即ちイコールで偉いという風に考える習慣を仮に受容したとしても、わたしは偉くなるために何かを知りたいと思っているわけではないと主張したいです。
 しかし仮にそうであったとしてもそれの何がいけないというのでしょうね、と呟く自分もいるわけです。
 わたしはほとんど何も知らないのです。そして知的好奇心が満たされることは快いです。わたしはこれから再び勉強の世界へ入門を果たしますか?
 眠くてわけわかんなくなってきました。一回寝ます。

 知らないことを知るのは楽しいことです。同時に知らなくていいこともあります。世界を好きと豪語するのであれば、もう少し世界のあらましを知ってもいいと、わたしはわたしに命じます。いえ、諭します。そうしてください。わたしよ。
 
 ほとんど何も知らない人の記事は如何でしたか?あなたの知的好奇心を満たせるなんら特異性がここには含まれていない様に思われます。あなたがわたしの記事をお読みになってくださるのはどうしてなのでしょうね。わたしは何も知らないので、あなたの心持ちを知らないので、判断に迷いますが、仮説を立てることが可能です。

 わたしがこの記事を書いた動機ですか?ははは、そんな…それはただわたしが楽しかったから、です。







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