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小説:母斑~Vofan~ chapter2

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 初めての失恋を経験したサトコは、二年間の思い出が頭の中を駆け巡っていた
 バス停でよく彼を見かけた、彼はいつも同じ銘柄の缶コオヒイを飲んでいた、別に缶コオヒイを飲みたいわけではないのに、サトコも同じものを買って飲んでみたりした。バレンタインに手作りのチョコを作ってみたものの、渡すことができずにクロゼットにしまったままであったが、一週間後に結局全部自分で食べたのだった。家族で旅行に行った時、渡せないとわかっていながら彼へのおみやげをこっそり買ったりした。その時買ったイルカの絵が付いたタアボライタアは、迷った末にやっぱり自分で使ってしまおうと、サトコがS君の真似をしてこっそり煙草を吸い出したのもこの頃だった
 いろんなことを自分だけの秘密にして大切にしてきたのに、それが一瞬で壊れてしまったように感じた。さすがに気持ちは落ち込んだものの、現実にサトコが失ったものは何一つなかったのだし、普通の日常に戻っただけだとサトコはまたすぐに立ち直った。サトコはいつも一人で始めて一人で終わっていた
 あの震災で、母は趣味で集めていた食器の破片が散らばる見るも無惨な光景を前に、何か吹っ切れた様に「苦労して仕上げても壊れるのは一瞬やね」と言った、その姿は気丈であったが、彼女の心が嘆いていたのを、その時サトコは気づけなかった。母はまた一から一つずつコレクションをやり直すと言いながら、棚にはそれが並ぶ気配がなかった。父は震災後一度自宅に帰ってきたが、またすぐに単身赴任先に戻って行った

 サトコは新しい恋を始めた
 その人は端正な顔立ちのバンドマンでドラムを演奏している人だった。サトコの引き出しには、S君に代わってその人のイラストが入っているようになった
 ライヴの時は上半身裸になって演奏するのが彼のいつものスタイルだった。彼の肉体の美しさにサトコは何とも言えない高揚感を覚えた。女所帯で育ったためか、男性の体というものに異常に興味があったが、年頃の女の子が露骨にそんな自分を出してはならないという無意識の抑圧があったためか、性の欲望に対する罪悪感をいつも覚えていた。そんな罪悪感を抱きながら、サトコは裸の男性のイラストをよく描いた(これは芸術だ私は変じゃない)そう自分に言い聞かせながらも、うっとり妄想を膨らませては(やっぱり私変かも)と不安になっていた
 そして彼への恋心もやはり妄想のまま、高校を卒業する前にバンドの解散と共に自然消滅したのだった

 サトコが男性の体というものを如実に知ったのは十八歳のときだった。高校を卒業してからアルバイト先でモトオと知り合い交際を申し込まれて付き合うようになったのだが、事実を言えば男性から交際を申し込まれるのは初めてではなかった。高校を卒業する直前、サトコは三人の男性から立て続けに交際を申し込まれたのであったが、それは彼女にとって思いも掛けないことで、サトコはそれまで自分が好きな人はいたが自分のことを好きな人がいるということに気づかなかったのであって、好意を伝えられた事はもちろんうれしかったのだが、もしかすると自分はからかわれているのではないかと疑って、変にプライドがムクムクと高く持ち上がり、その上小心者だったために軽く扱われたくないという見栄と、単純に異性という自分の知らない者が怖いという理由で、その人達とはお付き合いをしなかったのに、後になってからその人達のことが気になるという、格好の悪いことにもなっていた
 サトコの男性に対する興味はそんなことがあったためにより一層深くなっていった。そして高校を卒業し短大に進学した時に、サトコは自分の中だけの妄想からも卒業しようと決めた。守られた妄想の世界から、夢と希望を持ってサトコは足を踏み出したのだった

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