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Vol.40 亡き彼をヘルシンキの風に感じる。


bonjour!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。

2020年1月某日。家族でフィンランド・ヘルシンキへ飛ぶ。ヘルシンキは私が生まれてはじめて一人で歩いた海外の街だ。この日はピアノのレッスンのために日本から訪れていたピアニストの友人の案内で、懐かしのヘルシンキの街を歩いた。

時はさかのぼり、2012年2月。一年でもっとも寒い季節、わたしはヘルシンキに飛ぶことにした。トランクの中に大好きだった人の片身をつめ込んで。

2011年3月の東日本大震災で、わたしは当時結婚を前提に付き合っていた彼を失った。当時、突然の彼の死を受け止められないわたしは、彼のことを思い出す時間を埋めるかのようにがむしゃらに働いた。真っ黒になったスケジュール帳は、喪失感からくる辛さをいくぶんか忘れさせてくれたけれど、しかし夜になると蓋の下に押し込んだものがつき上げてくるようにいろんなことを思い出してしまうのだった。

-どうして思い出すのはこうも美しい記憶ばかりなのだろうか。

夜眠りにつく前、悲しくなるたびいつもそう思っていた。
突然大切な人を失った時、思い出すのは美しい記憶ばかりだ。そして、その美しさでありふれた雑駁とした彼との日々が塗りつぶされていくのが実は一番怖かった。

当時、やりたいことがあって新しい職場を探していたわたし。縁あって「うちの職場で働かないか」とその希望を叶えられそうな職場で働いている人に声をかけてもらい、春先からそこへ転職しようかどうかという時だった。そしてヨガのライセンスも取りたいと思っていたので、勤めていた職場を辞めたのち、有給休暇を消化しながらカナダへ行ってライセンスを取ろうとも思っていた。カナダから帰ってきて、そして春からは希望が叶う新しい職場へ。完璧だ。完璧すぎる。
これでまた忙しく働くことができる。

そう思っていた。

しかし、当時住んでいた高円寺の写真BAR白&黒のカウンターで仕事帰りに飲んでいたところ。写真家であるマスターがフィンランド・ヘルシンキで個展をやることになった、とお話してくれた。

ヘルシンキかぁ・・。

フィンランドは小さな頃からなぜか憧れがあった土地で、一度は行ってみたいと思っていた土地だった。

「いいなぁ。ヘルシンキ。行きたいなぁ」
とインドワインを片手につぶやくと、マスターから衝撃的な一言。

「一緒に行く?」

「・・・え??」

一瞬フリーズして頭の中が真っ白になった。フィンランドに・・行く?フィンランドだよ?あの、ムーミンの国だよ?行くって、行くの?行けるの?わたし。
気づいたら春から働く仕事も断り、ヨガのライセンス取得のためのカナダ行きもキャンセルしていた。そして、向かった先はフィンランド。


亡くなった彼は、旅が大好きな人だった。休みといえばリュックサック一つ担いで一人でいろんなところを飛び回っていたような人だった。彼を亡くし共通の友人同士で集まった時、決めたことがあった。

「あいつの分も、僕らが世界中を旅しよう」

それから、彼の片身をそれぞれ持って、わたしたちは世界中へ散っていった。ある人はインドへ、ある人はタイへ、ある人はオーストラリアへ、ある人はチリへ。

そしてわたしはフィンランドへ。


フィンランドまでの道中や個展のエキシビジョンや現地の方との交流などの時間は写真BAR白&黒のマスター夫婦と一緒だったけれど、そのほかは一人行動だった。今まで友達と海外へ行ったことはあったけれど、一人で道を歩くのは初めてだった。ちょっとドキドキしながら、今までとは違う自分と出会うような気持ちと高揚感を抱いて、ヘルシンキの街をゆっくりゆっくり歩いた。

せっかくだから、スウェーデンにも渡ってみることにした。
トゥルクという街へ向かい、シリアラインに乗ってスウェーデンへ。まだ太陽が登る前に出港したので船の外の景色はよく見えなかったけれど、バルト海にはった冷たい氷を切り裂きながらざくりざくりと進んでいく感触は伝わって来た。

やがて日の出を迎え、バルト海の氷面に朝日がさしてきらきらと反射した。
今までみたどんな光よりも美しいと感じた。その光に吸い込まれそうになりながらわたしはポケットから彼の片身をとり出してそっと手のひらに乗せ、ふぅっと息を吹きかけた。

すると、何か栓をしていたものが一気に取れたかのようにぼろぼろと涙が出て、わたしはその場に座り込んだ。背負ってきた重たいものをバルト海をなでる風がどこかへ連れ去っていった。それはわたしが背負ってきたものでもあり、彼が背負ってきたものでもあったのかもしれない。そしてその風は冷たくも温かい不思議な風だった。


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時を戻して2020年1月。ピアニストの友人の案内でヘルシンキの街を歩きながら、忘れていた2012年のいろいろが蘇って来た。あの頃のわたしは、確かにまだここにいる。そう感じた。

でも夜だったからでしょうか。あの頃とおんなじ風景を見てもまったく違う世界に見えた。8年の時を経て2020年、わたしの隣には夫と娘と家族共通の大切な友人がいて、あの頃一人で歩いた道を歩調を合わせて歩く。不思議な気持ちだった。

だけど、歩けば歩くほど、ヘルシンキの土地に漂っていたあの頃のわたしの香りや空気みたいなものがどんどん回収されていく。そして今のわたしと混じり合い、気づくと肩がとても軽くなっていた。バルト海の風は、いや、亡くなった彼は、あの時全ての荷物をわたしの肩からおろすことはしなかったのだと思った。

きっと、これは深い愛情なのだろう。
彼はわたしにとってやさしくて強い風だった。

彼の顔や声や、彼個人に対する思い出を忘れていく。当時抱いていた恋愛感情はどんどん消えていくけれど、風が吹くと彼の存在感をものすごく近くに感じられます。

このことを書けたことでわたし自身とても癒されたし救われた気がします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


@Finland
ひとりで初めて海外の路地を歩いたのがフィンランドだった。
結婚して子供ができて、また戻ってくるなんて、なんだか不思議な気分です。
あの頃ものすごく大きく見えていたものが小さく見えたり、気づかなかったものに気づいたり、わたしの中のフィンランドが新しく変わっていく。
だけど、フィンランドに降り立った時の匂いやまぁるい空気やほのぼのとした人々の雰囲気はそのまんま。
何かひとつのものが一巡して、あたらしいものが始まる感じです。
今度は家族一緒に。
(当時のFacebook投稿より)



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