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126. コロナ禍に娘が作ったミュージカル|Stay Home編《11》

bonjour!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。Stay Home編ではコロナ禍のフランスから帰国し、自主的に14日間の自宅待機中に感じたことを綴っています。今号も、前号のお話の続きで、当時3歳の娘が語った「コロナウィルス」について。


2020年3月30日。Stay Home11日目。
家の中に閉じこもっているとストレスがたまるので、人気のない場所に出かけたわたしと娘。前号はこちら↓

そこで、絵を描きながら「コロナウィルスのお話が怖い」と吐露する彼女の話を聞いていたら、ミュージカルが出来上がっていった。最初、鑑賞者はわたし一人だったが、ある初老の女性が遠くからこちらを見つめているのに気がついて・・。

「あら、かわいいわね」そういって、女性はゆっくりゆっくりとこちらに近づいてきた。先ほどまでの和やかな雰囲気を細い針で突き刺すように緊張感が走った。わたしの心臓はドキンドキンと強く波打って体を揺らしていく。

「あ、あの・・実は、わたしたちは先週フランスから帰国したばかりでして・・」

これ以上近づいてこられてはという一線を女性が超えたあたりで、反射的にそう言って彼女の足取りを牽制すると、一瞬で彼女の顔つきが変わり、わかりやすいくらいに場の空気が凍るのを感じた。彼女はこちらに歩いてきてしまった手前、すぐに下がることもできず、わたしはわたしでどうしようもなく、気まずい雰囲気が流れたけれど、隣ではそんなことはお構いなしに娘のミュージカルはどんどん展開していく。

わたしは娘の雰囲気に乗っかって、引きつる頬を口角で持ち上げながら、とりあえず笑ってみると、あぁ、この感じ。フランスでもよくあったなぁと思いながら。でもとりあえずでいいから笑ってみると不思議と言葉が出てくる。

「心配ですよね。でも、子どもがこう小さいとどうしても、家にずっと閉じこもってはいられなくて・・」と切り出してみた。

すると。
「フランスって戦場みたいなんでしょう?」
「家の中で、家族とは喋ってもいいの?」
「こんなことがいつまで続くんだろう?」
「これ以上酷くなったら、日本もフランスみたいに家から出られなくなるのかしら?」
と立て続けに質問が飛んできた。

「都市が封鎖されたり外出禁止になっても、家の周り何キロとか制限はありますが、買い物や散歩など、生きていくのに必要な用事であれば、欧州では外出をすることができました」
「イタリアやスペインなどより感染状況が深刻な国でも、スーパーや生活必需品を扱うお店は開いています」
「子どもやペットなど、保護を必要とする対象は外へ連れ出すことができます」
と、一つ一つわたしが知りうる範囲で彼女の質問に答えていく。そう、そうなのね、と納得はしたものの、何か腑に落ちない様子の彼女。
そして、しばらく沈黙したのちに唸るような声でこう言った。

「若者は、全くわたしたちのことを考えていない!!」


話を聞けば、少し離れた満開の桜の木の下で若者たちが花見をしているらしく「こんな時に能天気に!自分たちのことしか考えていないのよ!」と彼女は怒り心頭。まぁまぁ、どこの国でもそうですよ、なんて言ってお茶をにごすも気休めにすらならないどころか、なんだかこちらまでモヤモヤと嫌な気分になってきた。

30代ってどちらの年齢にも入りきれない微妙なお年頃なのだろう。彼女の言い分もわかるけれど、若者の気持ちもわかるのだ。でも気をつけないと、「ですよね、最近の若者は」と彼女の論調に乗ってしまいそうな自分がいるし、「そういうのが老害って言われてしまうんですよ」と思わず突っかかってしまいそうな自分もいる。その間でひたすらにモヤモヤモヤモヤしながら話を聞き続けた。

そのうちに、ひと通り感情を吐露した彼女はハッとして、「あ、ごめんなさいね。あなたにこんなことを言って・・」と我にかえったように口をつむいだ。そこで恐る恐る、「でも、わたし、彼らの気持ちもわからなくもないんですよ」と彼女に言った。

家よりも外の社会の方の存在感が増していて、それが健全な時期ど真ん中にいる彼らの気持ちになってみると、さぁこれから!という時にピシャリとドアを閉められたような気持ちになるのではないだろうか。

一番元気な時だから、体の心配なんかよりも友達との交流やコミュニティが途絶えることの方が死活問題で、でも状況的にそんなことは主張できないって、やっぱり苦しいことなんじゃないだろうか。確かに、今はたくさんの命を救う方が社会的に優先されるし、不用意に集まってどんちゃん騒ぎも良くないだろう。だけど、集まりたい気持ち、外へ出たいという気持ちはよくわかります、とそのように伝えた。

すると彼女は、一人暮らしの寂しさや心細さ、家族や友達に会えなくなることの不安、一人で寂しく死んでしまうのは嫌だという想い、様々なことをお話になって、それを聞きながら、わたしたちも若者と一緒なんだよなと思った。誰かと共に生きていたいという願いはわたしも彼女も若者も、そしてさっきからずっと横で踊って歌ってくれている娘も、みんな一緒なんだよなと思った。

転びたいくないけど〜
落ちたくないけど〜
練習したらやり直すんだけど〜
世界中がみんななんだけど〜
練習して泣いたりしない、世界中にはでき〜る〜

でも眠たくなる時もあるし〜
お腹が空いちゃうし〜
泣いちゃうし〜
巻くやつ(娘が気に入っていたわたしのスカーフ)が欲しいけど〜
練習して〜
頑張るとき〜

・・・

「子どもはかわいいわね」と初老の彼女は言い、しばらく二人でケラケラと笑いながら娘のオンステージを楽しんで、最後に「まぁ、頑張りましょうね」と言って、別れた。それから何人か同じようにやってきて、同じような空気を作って去っていくということが続く、この日は不思議な日だった。

娘が歌ったのは、きっと平和の歌。
今すべきは断罪ではなく、共感。
でもそれは相手と一緒くたになることでもないんだよ。

そんなことをわたしに教えてくれた気がします。

桜の時期の笠間工芸の丘にて

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