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147. ゆずると押しつけるの違いって何だろう?

Bonjour!🇫🇷 毎週金曜日に更新のフランス滞在記をお届けします。

フランスから帰国後、一世一代の大断捨離&お引っ越し(すてっこし)をはじめたわたしたち。

〝ご縁の切れたものは捨てる〟。
これが すてっこし の基本ルールですが、中には他にご縁のある方に譲った物もたくさんありました。その中で、ゴミを他者に押し付けるのと、縁を循環させることの違いってなんだろう?といつも考えていました。

今号はそんな「譲る」についてのお話。


2020年5月。
ご縁が切れたものは手放して、荷物を軽くしてから引っ越そう!と決意をした私たちは、連日家の中のありとあらゆる物とにらめっこし、ゴミ集積所と家を往復する日々を送っていた。

スタートはテンポよく捨てられていたものの、終盤に差し掛かると、思いがのこっていたり、状態が良い物だったりするのでどんどんペースダウンしてくる。吟味することに結構エネルギーを要する。

前回の記事にも書いたが、そんな時はしばらくその「目の前の物との時間を味わってみる」ということをやっていた。わたしの元へやってきてくれてありがとう。一緒に過ごしてくれてありがとう。そんなことを想いながらしばらくその物と一緒にいると、スーっと物にのこっていた執着みたいなものが抜けていく気がしたからだ。

すると、目の前のものは「わたしの物」ではなくなる。
その時、状態が良いものやは他の人にお譲りしようかな、という思考になるのだが、でも待てよ。これってゴミを人に押し付けていることにはならないだろうか。それってどうなんだろう・・と悶々。

例えば、リサイクルショップに行った時。
「これはきっと大事に使われてきて役目を終えてここにいるんだろうな」と感じるものと、「あまり日の目を見ず、投げ捨てられてここにいるんだろうな」と感じるものがある。この違いって一体何なんだろう?

例えば、コンビニのレジ横の募金箱。
お釣りを財布に入れるのが面倒だから、と入れることもあれば、このお金が必要なところへ届くといいな、と思って入れることもある。でも募金箱の中に入ってしまえばみな同じで・・。

発展途上国へいらなくなった服を送ろうというボランティアで、明らかにボロボロで服として機能しなくなったような物を送られてくるなんて話を聞いたりもする。

うーん。何なんだろうな、このもやもやは・・。
物を循環させるって、どういうことなんだろう・・?
と腕を組んでぼーっと天井を眺めてしまった。

・・・
・・・
・・・

けれどふと、
「ゴミかどうかを判断するのは受け取り手の問題で、こちらができることはどんな物を循環させたいか決めることだけではないか」
という思いが湧いてきた。

すっかりゴミ袋がはけて綺麗になった家には、大事に使ってきた物たちが並んでいて、「わたしたちにはまだ地球でのお役目があります!」と口々に訴えかけてきているような気がした。備え付けの家具がある新しい家には持ち込むことはできないけれど、この里山の古民家で大事に一緒に暮らしてきた物たちだ。

よし。
試してみなきゃ、わからない。
そう思って、わたしは、家の中に残った物を一つ一つ綺麗にして、縁側に並べはじめたのだった。

・・続く。


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