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VOl.19 彼らがどうして主張するのか私は知らなかった|フランスでストライキを体験して

bonjour!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。今日は2019年の冬、現地で体験したストライキについてです。

その前に時間軸を戻して現在のことを。フランスでは現地時間2020年10月28日にマクロン大統領から、10月30日から少なくとも12月1日まで再ロックダウンすると発表がありました。これからフランスが迎えるであろう第二波は第一派よりも深刻な状況となりそうです。

日本にいるとコロナ禍の生活に順応してきつつある感を覚えてしまうけれど、(もちろん本国にも自殺率の増加など多々問題はありますが)ひとたび国際ニュースを調べるとヨーロッパやアメリカの感染状況はより深刻であることに驚きを隠せません。

もし昨年のフランス滞在を経験していなかったら遠い国のニュースで終わっていたかもしれないけれど、一度住んで生活をしている国のことです。隣県での出来事のように感じ、在仏日本人の方の発信や紹介するニュースには目を向けるようにしています。

このフランス滞在記も、今まではちょっと遠い過去の記憶を掘り起こして書いているような感覚だったのですが、滞在当時の季節と重なってきます。特にストライキのことを考えると、なんだか今の状況とものすごくリンクしているように感じ、そこにいたことをありありと思い出します。


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前置きが長くなりましたが、今日の本題に移ります。

2019年12月上旬からフランスでは年金改革へ反対する、歴史上最大規模のストライキが始まりました。市民も政府もおれず、結局私が翌年3月コロナ禍で帰国するまで続いていました。今はコロナで影を潜めていますが、今回の2回目のロックダウンでどうなるだろうか、と思っています。

私が住んでいたグルノーブルという地方都市は、パリやすぐ近くのフランス第二都市リヨンほど大規模ではないまでも、トラムやバス、電車が動かない、スーパーマーケットが閉まるなど生活への影響がありました。

アメリカへ行く日程がちょうどストライキの始まりとぶつかってしまい、空港までの移動が大変だったことも。

今でも思い出すのがトラムの駅でのこと。
買い物へ行こうと駅でトラムを待つも、待てど暮らせどトラムが来なく、随分と遅れてトラムがやってきたと思ったらデモに参加するたくさんの人を降ろしたのち、「今日はもうここで運転を終わりにします」と運転手。
「・・へ・・!?どういうこと・・!?」とあっけに取られていると「これがフランスよ」と一緒に待っていたマダムにあっけらかんと言われて、さらにポカンとしたことを昨日のことのように思い出します(笑)。

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テレビをつけてもストライキのニュースで持ちきり。フランス語はよくわからなかったけれど、この国にとって重大な出来事が起きているんだな、ということはよくわかりました。

ストライキが始まった当初は、ただでさえ読めないフランスタイムにストライキが加わるなんてまったく勘弁してくれよ、と憤ってみたものですが、面白いことに現地にいると慣れてくるのです。
フランスではストライキやデモについて、みんながみんなそうではないかもしれないけれど「まぁ、ここはそういう国だから」みたいな慣れ感がありました。ちょうど日本の「空気を読む文化」に対して日本人が「まぁ日本ってそういう国だからさ」と受け流してしまうように。まさに、郷に入っては郷に従え。フランスに入ったらフランスの雰囲気にすっぽり同化している自分に驚きました。

同時に、日本人の空気を読む的な調和に対する敏感性と、フランス人の主張する自由は全ての人にある的な権利に対する敏感性にすごく似たものを感じたのでした。

一見まったく違うように感じられたけれど実はお互いに背中合わせの存在なのかもしれないなと。

前号でトラムの中で謝りまくっていたらフランスマダムに「謝る必要はない」と諭されたという記事を書きましたが、彼女は私の権利意識への感度のなさに同じ女性として違和感を覚えて、いてもたってもいられなかったのかもしれません。

そんな風に感じられると、最初はちょっと軽蔑して引いてみていたストライキの様子がなんだかとても人間的な行為にみえてきたのでした。

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それに、自分の中でストライキやデモに対する誤解もあることにも気がつきました。私はそれらを〝暴力的なもの〟としか思っていなかったのですが、実際にデモに参加している人はなんというか、お祭りのようで楽しそうにしているのです。

日本で見ていた国際ニュースでは、ストライキやデモは、車に火をつけたり窓ガラスを壊したり、爆竹を打ち鳴らしたりするデモ隊に対して警察官が催涙スプレーや放水で鎮静化を図る、というようなセンセーショナルな図として報道されていました。しかし、そういった攻撃的な集団は「ブラック・ブロック」という超過激集団で彼らの目的は主張をすることではなく、ただデモに便乗して壊すことです。

まったく関係がないとは言いませんが、そういう本来のデモやストライキの主張とはかけ離れた一部分がトリミングされて報道されるのを、私はただただ鵜呑みにしていたのだと思ったらちょっと恥ずかしくなりました。フランス人の人権意識について、何も知らないで、頭の中で盲目的に「ストライキやデモ=暴力的なこと」としていたし、もっと言えば「自分の意見を主張することは暴力的なこと」と思い込んでいたのかもしれない。

それに、これはフランスに限ったことではないと思いますが、デモやストライキをする際は事前に申請して、デモを行う場合は危険なことがないように警察隊を待機させる、というルールがきちんとあってそのルールに則って行われる、ということも知らなかった。

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歴史の教科書のフランス革命の怒り狂った市民の暴動・・みたいなイメージが強かったのですが、とんだ誤解でした。この辺りは知識不足ですが(歴史に弱いのです)フランスはフランス革命で熱狂した市民によって必要のない死刑が繰り返された歴史からきちんと教訓を得て、ストライキやデモの背景には主張するための安全で健全な方法について考えられてきたようです。

西洋帰りの邦人から語られる「日本人の人権意識が低い」という論調が正直苦手で、心の中で「まぁまぁとは言っても日本の良いところだってあるんだから・・」などといかにも日本人、というようなお茶の濁し方をしていた。けれど、彼らももしかしたらこういう体験を何回かしたのではないだろうかと想像した。
日本から見ていた諸外国に対する偏見が覆され、自分の日本人としてのアイデンティティを揺るがすような体験を。

結果、日本を客観的でシビアな目線で見るようになったのかもしれなくて、それは本当の優しさなのだろうと思ったのだった。

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時は2020年。
再び、コロナウィルスをきっかけとして今度は世界規模で「個人の自由とは何か?」「全体との調和とは何か?」が問われ続けています。
私は日本に身を置きながら、この問題について感じ、考え続けます。


最後に、最近読んでいた河合隼雄さんの著書・母性社会 日本の病理から私が好きな一文を引用して結びとしたいと思います。

人間はもともとまったくの自由に耐えられるほど強くはないのだから。

これは、同時にこう言うこともできるでしょう。

人間はもともとまったくの調和に耐えられるほど強くはないのだから。




「自由について」はこちらもどうぞ。


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