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悩んだことがない事が、実は一番の弱みだと気がついた話。

「誰もわたしと遊んでくれないの」
「友達ができないの」
と、ときどき娘がわたしに言う。けれどその時、わたしは彼女にどう答えて良いのかわからない。なぜなら、わたしは「友達がいない」について特に悩んだ事がなかったからだ。


「友達がいないことに特に悩んだ事がない」というと、さぞ社交スキルが高かったり、元より人から好かれる何かがあるのだろう、と思われるかもしれない。けれど、わたしの場合そのどちらでもなく、「友達という概念に対する解像度が低い(こだわりが薄い?)」ことと、「ひとりぼっちでいることに悩みを感じにくい」ことが要因ではないかと思う。

例えば、娘が「休み時間、だれも遊びに誘ってくれないんだよね…」とため息をつく。するとつい、「近くにいる人にとりあえず声かけてみればいいじゃん」とか、「一人で本を読んでいればいいんじゃない?」などと返してしまうので、彼女との間の空気がどんどん歪んでいく。

最終的には、「もう!ママにはわたしの気持ちなんて、わからないよ!」と言われて、かける言葉をなくしてしまう。そう、きっとわたしは彼女の気持ちがわからないのだ。

思えばわたしは友達作りにおいてはめちゃくちゃ受動的だった。小学校の低学年頃は、たまたま入学式で隣の席になった女の子と仲良くなった。彼女が積極的に「あれをしよう、これをしよう」と提案してくれて、遊びに誘ってくれるタイプだったので、とりあえずくっついているうちに仲良くなった。思春期に入ってからは、なぜか悩み事を相談されることが多くなってきて、心のうちを話してくれる人=友達、という風になっていった。

年齢によって周りにいる友達は変われど、何も考えずに、流されるがままにとりあえず近しい人と仲良く過ごす。そんな感じだった。わたしが好きかどうかというよりも、わたしのことを好きになってくれる人が友達、みたいな感じだ。

そんなたくさんいた「友達」のうち、一人とだけ親友になった。ただ、彼女とは年に一回か二回遊ぶ程度で、しかも悩み事の相談なんてしないし、されない。側からみれば「本当にあなたたち親友?」と言われてしまうようなさっぱりとした関係だ。でも、わたしとしては、そのさっぱりした関係を継続してくれるから、親友になれたというのが大きい気がする。

「友達ができない」という件に、話を戻すと。
時々友人からも「わたし、友達いないんだよね」と言われることがある。その時のわたしのリアクションはいつも「え!わたしは友達だと思ってたよ!」という片思いが発覚(!)的なものになるのだけれど(笑)、そんな彼女たちの話を聞いていて、気がついたことがある。

それは、わたしの「友達への解像度が低い」、つまり友達への捉え方が非常にざっくりであるということ。友達に期待をしていない、とも言えるかもしれない。けれど、娘ふくめ、友達がいないと言う人と話していて思うのは、「友達ってこういう存在だ」という理想があったり、「こんな友達が欲しいな」だったり、こんなことが言えるのは・できるのは「友達だからだ」だったり。友達というものに対する解像度がものすごく高いし、友達に対して期待していることもたくさんあるのだということだ。

それは、「え!わたし…そんなこと全然考えてこなかったよ…」と驚くことばかりで、まるで、いつも通り散歩を楽しんでいたら、急に「あなたには足というものが2本生えています。わかってますか?」と聞かれたような衝撃を覚える。そして、だんだんと自分がものすごく浅ましい存在に思えて来たりもする(笑)。わたしって友達について、全然考えてこなかったのかなって。

きっと、20代くらいまではそういう自分が何も気にしてこなかった部分って、強みとまではいかないまでも、悩みの元とならない分、ある程度自分を生きやすくしてくれる一つの要因だったと思う。けれど最近、それって実はわたしの弱みだったりするのではないだろうか?と思うときがある。悩んだり考えたりしてこなかった部分というのは、深みがない部分ともいえるから。

そう気づいてから、娘の「友達がいないんだよね」に対して何かコメントすることをやめた。わたしより深く考えている人に向けて、自分が特に言えることってないな、と思って。
すると、

友達ってこういう存在で
こんなことを一緒にしたくて
こんな場所にも行きたくて
….

という娘のとてもピュアなお友達への想いや期待に「そんな風に考えることができるなんて、うらやましいな」という気持ちが湧いてきた。そして、そっか、わたしだってもっと友達にそんな風に思ったり期待を寄せたっていいのかも、なんて思えて、心に新しい風が吹いていったのだった。

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