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Vol.41 「ウィルスもってる?」とフランスのお肉屋さんで紳士に聞かれたあの日|一即多・多即一


bonjour!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。
今回は2020年1月。アジアが、日本が未知のウィルスの出現で大騒ぎになっていたあの頃、そこから離れたフランスの地でわたしが体験していたことを書いてみます。


コロナウィルス。

わたしがその存在をしっかりと認識したのは1月の終わり頃のこと。武漢が都市閉鎖したというyoutube動画を観た時だった。致死率がさほど高くないはずのウィルスに対して、まるで宇宙服のような厳重な防護服に身を包んだ医療者たちが処置にあたっている光景はまるで異世界で、うす気味悪さを覚えたのだった。これは現実なの?と疑う気持ちもあって、どこか自分と遠いところで起こっている出来事のように感じていたのが本音です。

しかし、それが間接的に自分にものすごく関係のあることとして迫ってきた出来事があった。それは、1月末、行きつけのお肉屋さんに買い物へ行った時。

娘のお誕生日ディナーのため「ちょっと奮発していつもよりいいお肉を買おう」と気分よくお店に入っていって、常連さんたちが店主とおしゃべりを楽しむのを聴きながら、ガラスケースの中のお肉を吟味していた。そんな時、一人のおしゃれな紳士がフランス語でなにやら話しかけてくる。

お肉のことしか頭になかったわたしは、その言葉が牛肉(du boeuf)にしか聞こえず(バイアスっておそろしい 笑)、呑気に「あ、これ美味しんですか?」とカタコトの英語で返した。

向こうはちょっと困惑して、「Are you  Chinese?」と聞いてきた。そして、「Bukan」がどうのこうのと言っているので、あぁコロナウィルスのことかとやっと認識。彼は牛肉ではなくウィルス(virus)について話していたのだ。

「私は日本人です」と返すと、紳士の顔が少し和らいだ。

さらに、「11月からフランスにいるんです」と加えるとパッと顔色が明るくなって、そのノリで「ウィルスもってないよね?」的なブラックジョークを飛ばしてきた。先ほどまでシーンと静まり返っていた空気は一変して、他の常連さんからはまったくあんたって人は・・的にやんややんやと言われる紳士。いやいや悪かった、と言わんばかりに彼はわたしの肩をぽんぽんと叩いた。そして、

「はやく終わるといいね」
と言った。

「不安ですよね」
と、わたしが返すと、紳士はわたしを励ますようにさらにこう言った。



「今、フランスにいてラッキーだったね」


その場の雰囲気に任せてとりあえずの愛想笑いを浮かべつつも、わたしの心の中は悶々としていた。


一即多・多即一。

グローバル化した世界は、一つの地域で経験したことが全体で経験したこととなりやすい。コロナウィルスによるパンデミックはそれをまざまざと私たちに見せつけたけれど、その解決策は逆の思考も一緒に取り戻していくことなのかもしれない。つまり、全体で経験されたことは一つの地域の経験に反映される、ということ。集約されると言った方がしっくりくるかもしれない。

わたしの中に世界があって世界の中にわたしがある。


さて、先程のお肉屋さんでの出来事を文章化してみると、ブラックジョークにもほどがあるでしょ、と言いたくなる感じですが、あの頃、2020年1月はこういう雰囲気だった。あの頃、「アジアの一部の地域で流行している新型の病気」がその後あっという間に「世界の全ての人に関係する病気」になるとはあそこにいた誰が想像しただろう。

紳士に対して、「それって人種差別ですよね」と返したらあのモヤモヤを抱えることなく肉屋を後にしていたのだろうか。いや、もっと大きなモヤモヤを抱えたのかもしれない。そんなことを繰り返し繰り返し考えていた。


あの時の紳士はとても怯えた瞳をしていた。

「はやく終わるといいね」

コロナウィルスは「アジアの一部の地域で流行っている病気」。アジアでの流行がはやくおさまってくれるといいな。いや、おさまるはずだ。怖いな、こっちに入ってきてほしくないな。あの時の紳士の瞳はそう訴えていたのかもしれない。

きっと、それはわたしもおんなじ気持ちだった。
わたしだって怯えていたのだ。



「今、フランスにラッキーだったね」

紳士から何気なくかけられた最後の励ましの言葉に、「うん、そうだよね」と同意してしまう気持ちが自分の中に確かにあった。自分の母国が関わることでもあったのに、まるで対岸の火事のように思え、そこにいないことに安心感すら覚えている自分がわたしの中に確かにいた。それが罪悪感となってじわりじわりと押し寄せてくるのだ。

「自分とは関係ない」という気持ち。
これが排除とか差別の種なんだろうか、とも思った。

そして、アイデンティティが揺らいだ。

日本で暮らしているときはさほど気にもせず自分は自分だと思って過ごしていた。けれど、自分はアジア人であって、日本人であるというカテゴリーの中にいる。つまり人種というものに分けられてこの地球に存在している、という事実にショックを受けたのを覚えている。人種というカテゴリーに入ったとたんに、自分という存在がとても小さく細分化されてしまうようでたまらなかった。


・・・

いろんな気持ちが渦のように湧いてきてモヤモヤを抱えたまま、美味しいお肉の入った袋を下げて、もう片方の手はぎゅっと娘が小さな手をにぎってお店を後にした。娘はじぃっとこちらをみていた。彼女は何も言わず、大人たちのやりとりをただ静かに観察していた。

つづく・・



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