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ひとり一人を拾い上げて――「劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:」レビュー&感想

大好評を博したTVシリーズをまとめ直した前編に当たる「劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:」。これは後藤ひとりが「一人」を拾い上げる物語である。


1.ぼっち・オブ・ぼっち、後藤ひとり

後藤ひとりは秀華高校に入学したばかりの1年生。中学時代友達が1人もできなかった彼女は、高校でバンドを組みたいと願うも周囲に話しかけられず引きこもり一歩手前の日々を送っていた。趣味のギターを前面に出せば話しかけてもらえるのでは……という目論見も失敗し公園で落ち込んでいたある日、彼女は初対面の伊地知虹夏という少女にバンドのサポートを頼まれ……!?

まんがタイムきららMAXではまじあきが連載中の漫画をCloverWorksが映像化、いわゆる「きららアニメ」の中でも群を抜くヒット作となったアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」。本作はそれを映画用に総集編として再構成した前編に当たるが、こちらで初めて作品を目にした私が特に印象的に感じたのは主人公・ぼっちちゃんこと後藤ひとりの「ぼっち」ぶりであった。

対人コミュニケーションが苦手な者が主人公、という作品自体は珍しいものではない。例えば同じくきらら系にあたる「星屑テレパス」も、極度の上がり症の少女・小ノ星海果がそれでもテレパシーのようなコミュニケーションを実現する物語であった(良い作品なので皆見てほしい!)。ただ、ひとりの「ぼっち」ぶりはそうした分類の中でも埋もれることなく個性的である。「人様に見せられるよう毎日6時間以上ギターの練習を続けていたら、気付けば中学生活が終わっておりバンドどころか友達すら作れなかった」……「ギターヒーロー」名義で動画サイトに上げる演奏動画の準備をしながら彼女はそう歌うが、こんな過去を持っている「ぼっち」はそうはいないだろう。なまじなぼっちでは「分かる分かる」と共感することすら許されないぼっち界のエリート、いわばぼっち・オブ・ぼっちが後藤ひとりなのである(これを読んだぼっちちゃんがショックで奇行に走るのを想像しながら書いています)。

彼女のぼっちぶりは堂に入ったもので、練習し続けたギターは動画サイトでは登録者数3万を超えるほどの人気ぶりだが現実では上手く機能しない。劇中で解説されるようにバンドはメンバーと息を合わせるものであり、初対面では他人の目を見ることもできない彼女の演奏は一人で勝手に走る「ぼっち」な代物になってしまうからだ。……だが、これは単純に否定されるべきことなのだろうか?


2.ひとり一人を拾い上げて

学校でギター少女をアピールしようとするも失敗、公園で落ち込んでいたひとりは、通りがかった伊地知虹夏という少女から突然バンドの助っ人を頼まれる。メンバーが一人突然辞めてしまったためのそれは先に挙げたひとりのバンド演奏下手もあって大失敗に終わるも、この出来事をきっかけに彼女は虹夏達のバンド「結束バンド」に加わることになる……というのが本作のあらすじだ。そしてこの前編で注目すべきは、バンド活動を通してひとりが様々な「ぼっち」を見つけていることだろう。

例えば結束バンドに最後に加わるギターボーカル、喜多郁代はひとりと対照的に明るく社交性に富んでいる。「ぼっち」なんてものとはこの世で一番縁遠く見える少女、と言ってもいいだろう。だが、彼女と関わる中でひとりは喜多が他人には言えない秘密を抱えていることを知っていく。彼女が結束バンドを突然辞めたメンバーであったこと、それは彼女がメンバーの一人である山田リョウに憧れて飛び込んでみたものの実際はギターが全く分からなかったためであること、硬くなったその指は素人ながら彼女が一生懸命ギターを練習した証であること……特に最後については喜多は自ら口にすることなく、一人胸の奥にしまっておくつもりの秘密であった。そう、ひとりは喜多の中にあった「ぼっち」を見つけたのであり、だから彼女はもう一度結束バンドに加わることとなった。

また、オリジナル曲の作詞を任されたひとりは当初は明るい歌詞を作ろうとするも上手くいかずリョウに相談するが、そこで助言されたのは他人に受け入れてもらうために個性を捨てるべきではないというものだった。リョウ自身、以前所属していたバンドが売れ線を狙ってその歌詞から個性が消えていくのを嫌がって辞めた過去があり、ひとりから見ても変わり者の彼女は「ぼっち」であることを恐れない人間だったのだ。そんな彼女の過去を知ったひとりは自分に忠実な暗い歌詞を書き上げ、リョウはその「ぼっち」な歌詞を数は少ないかもしれないが深く刺さるのではないかと評価する。

個性とは他の誰にも上書きされない、安易に共感されないその者だけの特性である。言い換えるなら、個性とは究極的には「ぼっち」な代物だ。そして個性とは、ぼっちとは1人だけから生まれるとは限らない。劇中でリョウが言うように、バンドの個性とはバラバラな人間の個性が集まって生まれるもの。すなわち複数の人間がいなければ存在できないバンドもまた「ぼっち」たり得る。いや、バンドたるものぼっちでなければならない。それはけして、メンバーの息が合うところだけから生まれるとは限らない。

ステージオーディションを突破して迎えた4人での初ライブ、結束バンドが迎えた状況は逆境そのものだった。悪天候で身内はライブハウスに来ることができず、少ない観客もその大半は無名のひとり達には興味がない。あまりにも「ぼっち」じみた状況にメンバーは気圧され、ライブは大失敗に終わるかと思われたが――状況を覆したのはひとりが突如始めたギターソロであった。観客はおろか虹夏達まで呆気にとられるその演奏はあまりにも「ぼっち」で、けれどだからステージに漂っていた空気を一変させてしまう。結束バンドにあるべき自分を、「一人」たる己を取り戻させてくれる。虹夏達の助っ人をした時は足を引っ張ったと思えた演奏がしかし、今度は皆を救ったのだ。
彼女の演奏を聞いてひとりが動画サイトの投稿者だと気付いた虹夏が言うように、この時の彼女は「ヒーロー」である。名義通りの「ギターヒーロー」である。他人とではうまく演奏できないひとりは自分の正体をずっと隠していたが、結局のところ後藤ひとりとギターヒーローは「一人」の人間でしかなかった。

どれだけ他人と親しくなっても、人間は究極的には一人。食べ物の好き嫌いも物の考え方も全てが一致することはなく、どれだけ共感を呼ぶキャラクターであろうと全てが読者や視聴者と一致することもない。一致する部分だけ抜き出せるようなら、そんなものは一個人ではないとすら言ってしまっていいだろう。けれど一方で私達は、自分とかけ離れた状況にいるはずの相手に不思議な共感を覚えてしまう時がある。どうしようもなく一人の人間である「ぼっち」な存在に、自分の中の「ぼっち」な部分を重ねてしまうことがある。後藤ひとりが安易な共感を許さないぼっちだからこそ、かえって私達は彼女の気持ちに共感し応援したくなってしまうのだろう。その点でもやはり後藤ひとりはぼっち界のエリート、ぼっち・オブ・ぼっちだ(これを読んだぼっちちゃんが嬉しさで奇行に走るのを想像しながら書いています)。
後藤ひとりは「一人」を拾い上げる。彼女のそのぼっちなギターこそが「ぼっち・ざ・ろっく! 」なのである。

感想

以上、ぼざろの劇場総集編前編レビューでした。TVシリーズは未視聴、総集編をやってくれるならありがたいなということで足を運んだ次第です。上映開始から1週間経ってないのにパンフが売り切れでびっくりしました。
初見時は正直うまく考えがまとまらなかったのですが「ひとり一人を拾い上げて」というレビュータイトルだけはなんとなく浮かび、もう一度鑑賞する中でそれが具体的になっていきました。本文中では触れていませんが、虹夏が自分の本当の夢という「一人」をひとりに打ち明けるラストはこの前編に相応しいものだったと思います。ひとり以外のメンバーも遠慮なくキャラを崩していく演出もなんというかロック。8月の後編、楽しみです!

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普段はTVアニメのレビューを1話1話ブログに書いています。本文中で触れた星屑テレパスも取り上げていますので、よろしければ御覧ください。


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