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トヨタの取説 1

僕がトヨタにいたときの話を思い出しながら書いていきます。
1971年に入社しました。
だいぶ昔の話になる。
当時のトヨタは、自工と自販に分かれていた。
従業員は、5万人の頃である。
とんでもなく大きな会社に入ったものです。
生産体制や規模、新型ラインと大きく様変わりしていると思う。
従業員数も20万人を超えているだろう。
自販は、当時5000人の従業員だった。
5000人で50000人の会社と同格だったので、
合併したのだろう。
神谷正太郎という販売の神様と言われた人が作った会社です。
トヨタには、豊田家、斎藤家、神谷家など大株主の家がある。
豊田自動織機は、佐吉翁が明治の頃に作った本家になる。
その子会社がトヨタ自動車工業である。
創業50周年の頃在籍していた。
当時は、日産とシェア争いを繰り返していた。
世界第三位であった。
GM、フォード、クライスラーの米国ビッグスリーの
クライスラーを抜いた頃である。

思い出深いことがる。
個人タクシーのクラウンが、月までの距離を走行したという
クラウンを本社まで、乗ってきて帰りには、新型クラウンを
贈与されたという話である。
この車は、豊田記念館に展示されていると思います。

また、TOYOTA 2000GTにも触れたこともあります。

今では、当たり前の装備、EFI、ABS、EAT、などがオプションだった
頃の話である。

カーナビなんか考えつかなかった頃です。

その頃のオプションのEFI 電子制御インジェクション
EAT 電子トルコン、ABS(ESC)電子制御スキッドコントロールブレーキシステムを品質保証部で担当する部所にいました。

当時は、排ガス規制と安全基準が大きなテーマです。
米国安全基準(FMVSS)をクリアすることが目的でもあります。

技術部で試作し完成車両の検査を保証部で行うことになった。
その担当係りが私の係であった。
先輩について安全基準の翻訳された内容を理解しながら、
技術部の教えを受けながら適合試験の試験機等の準備を
監査工場で進めていた。

試験機は技術部にはあるが、保証部には無いので、
導入することになった。
衝突試験機、引張試験機、圧縮試験機など安全基準に沿った
試験機の作成と設置である。
また、それに伴った計測器の購入である。

更に、試験結果の技術報告書の作成も当然行う。

仕事が完成する頃には、年間計画も必要になってくる。
これら一連の流れを、手順書として作り上げて行くのである。

それによって、再現性と標準化を図るのです。

機械装置の手順、テスト工程の手順を細かく作り上げていきます。

機械や計測器には、取り扱い説明書がついてきますが、仕事には
役立たないので、手順書を作るのです。
試験の初めから終わりまでを綴ったものです。

これを読んで理解していれば、スムーズな流れで試験ができる訳です。

トヨタの4Sから始まり、4Sで終わるまでです。

5W1Hの流れで手順書が作られていきます。
最近ではルーティーン等と表現しますが、年間にやるルーティーン
だと考えれば良いでしょう。

この手順書と年間計画の作り方をトヨタで学びました。
以後何を始めるにしてもこの考え方を基に事を事を
運ぶようにしています。


会社設立も自分でやりました。

インターネットで会社設立と検索すれば、1000万件くらいヒットしますが
その殆どが広告です。
メジャーなキーワードです。
ということは、それだけできないという事かもしれませんね。
また、アドバイスを受けたい人がいるという事かもしれませんね。
司法書士、行政書士、税理士はある意味手順書があれば
できてしまう仕事ですね。


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