『神様のカルテ』、『神様のカルテ2』、『神様のカルテ3』を振り返る
私の心の支えであり、読むたびに勇気をもらい、生命の尊厳を認識する
夏目漱石好きの内科医・栗原一止の成長の物語である。
登場人物は誰しもが温かく、真摯に生きている。
「このままでいいのか」、「生きるとは」、「死とは」、「人が人であるためには」、「いい医者とは」
教師として、コーチとして自己の哲学を常に問いただしてくれる物語。
コーチも同じ。選手の持っているものを掘り起こして光を当ててやることができたら、選手みんなが輝く。選手もコーチも勝利至上に囚われながら無理して擦り減る必要ないんだと思えてきた。擦り減った結果、競技そのものから離れていく人がどれだけ多いことか。そもそもスポーツの価値はそこではないはず。
朝の表情、廊下ですれ違う時の様子、いろいろなところに生徒の気持ちや変化のサインが見え隠れする。困らせる生徒は困っている生徒。私が生徒指導部長の経験から見出したことがある。もつれた糸をほぐし、解いていくと糸は切れずに繋がったまま。違う方向に無理に引っ張ると固く結ばれたり、切れたりする。生徒同士も、生徒と教師も糸を切らさずに同じ方向に編み込んでいくと強い綱になる。しっかりと話を聞いて、話をしていくと兆しが見えてくる。
ドキッとした。
教師はどうか?コーチはどうか?
自分は子育て時代は近くの学校に勤めることができ、今ほどは立場とすべきことを抱えていなかったのはラッキーとしか言えない。
『神カル』シリーズは毎作誰かが亡くなる。
古狐先生のストーリーは毎回涙が止まらない。
地域医療に懸ける想い。
『神カル3』での一止の小料理屋での3人?の送別会、「杉の森」の熱燗のくだりは名場面。
東西主任の羅針盤が指す「北」は病気で苦しむ人を救うこと。
私が初めて担任した時の学年通信が「羅針盤」。
私自身の、教師として、コーチとして心の羅針盤が指す「北」は、
「生徒、選手の笑顔」
この覚悟、教師として、コーチとして自問した。真摯な努力の素晴らしさを認めたい。認めて伸ばすために自分は全力で学び続けたい。
そして心が洗われる色彩豊かな景観表現。
繊細な日本語を堪能できる秀逸なシリーズである。
どうやら2024年
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