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【連載小説】怒らない恋人/第二章:1

■あらすじ
大輝は、恋人の由依が女友達との仲を理解してくれないことに悩んでいた。浮気ではない。ただの友人。やましいことは何もない。けれど、由依は女友達を受け入れようとしない。ただの友人なのに、どうして理解してくれないのか。
優しくて誠実だけど神経質な彼女。そんな彼女をとても大切に想っている大輝。大輝は心の平穏を取り戻せるのか。浮気じゃないし裏切りでもないのに、男女の友情を信じてくれない彼女との戦い。


「いやー。社交辞令のつもりだったんだけど、まさかほんとに誘ってくるとは思わなかったよ」

 先輩がそう言ったのは、居酒屋の飲み放題コースも終盤になった頃だ。
 俺の向かい側に座っている先輩はだいぶ酔っているようで、瞼がほんのり赤くなってなかなか視線が合わない。
 先輩とは職場で軽く挨拶を交わす程度の仲だったが、先日、たまたま帰り際に世間話をし、「いつか飲みにでも行こうぜ」と誘われたので、その日の夜にいくつか居酒屋の候補を絞って、翌日には連絡した。
 先輩はしばらく都合がつかないとのことだったが、俺が「先輩の予定に合わせます」と言うと、今週末ならなんとかなりそうだと返事をくれた。
 ……で、今に至る。
 そうかぁ、社交辞令だったのか。俺はちょっとだけ落ち込んだ。また間違えてしまったみたいだ。
 俺は社交辞令によく引っかかる。
 大学時代、同期の学生に「今度遊ぼう」と言われたから、俺と遊びたいと思ってくれたんだなと嬉しくなって予定を立てた。でも、具体的な計画を話し出すと曖昧な笑顔でずっと誤魔化されたことがある。その同期生とは卒業まで一度も遊ばなかった。
 職場の後輩から、「明日、みんなで飲むんで先輩も良かったら!」と言われたので行ったら、「ほんとに来たの? 」と陰で噂されたこともある。
 社交辞令。来てほしくないのに「来なよ」と言う。遊ぶつもりはないのに「遊ぼうね」と言う。それはただの嘘なんじゃないか。社交辞令は人間関係を円滑にするために必要だと聞いたことがあるが、嘘をつかなければ築けない人間関係って、どんな関係だろう。
 まあでも、社交辞令から始まっていく関係があるのも事実だ。今回だって、先輩と初めてサシ飲みできて嬉しい。
 テーブル上の料理はだいたい食べ終わっていて、先輩が飲んでいるビールも空だ。先輩は酒が好きだと言っていたから飲み放題のコースにしたけれど、あまり飲んでいなかったみたいだ。

 結局、先輩とは一軒目の居酒屋を出て解散した。午後9時。明日は休日だけど、奥さんの都合でどこかに出かけるらしく、朝が早いらしい。奥さん想いの良い人だ。
 今日は俺も楽しかったし、先輩も楽しそうだったし、また今度改めて誘おう。

+++

 友人の数は多い方だと思っている。飲み会の幹事を頼まれることも多いし、休日に誘ってくれる友人もいる。俺から誘うことはほぼ無いが、誘ってくれるのはありがたいことなので、ほとんど断らない。
 ただ、恋愛はうまくいかなかった。俺は決してモテる方では無いが、学生時代には何度か女子に告白されたことがある。こんな俺を好きになってくれたことが嬉しくて付き合ったけれど、どの女子にも短期間でフラれた。彼女たちは理由を言ってくれなかったが、一人だけ「片想いしてるみたい」と言って去って行った子がいたのを強烈に覚えている。付き合っているのに、どうして片想いだなんて言うのだろう。不思議だ。
 とにかく、理由はわからないが俺の生活の恋愛面は充実していなかった。ただ、それも由依ゆいと出会うまでの話だ。

 恋人の由依からメッセージが届いたのは、先輩と飲みに行った翌日。俺が自分の部屋で遅めの朝食として白ご飯と納豆を食べていた時だ。

大輝ひろき、今日は休み? できれば会いたいけど、疲れてるなら無理しないでね』

 相変わらず由依は優しい。メッセージひとつからでも優しさが滲み出ている。彼女の優しさにほっこりしながら返事を打つ。

『ありがとう、由依。由依の言葉には、いつも癒されるよ』

 素直な気持ちだった。自分の気持ちはできるだけ言葉にするよう心がけている。どんなにわかり合っている相手でも、やはり言葉にしなければ伝わらないからだ。特に由依には伝えたいことが山ほどある。

 由依と初めて出会ったのは恋活のパーティー会場だ。恋活パーティーなんて俺には縁のないものだと思っていたし、恋人は普段の生活の中で自然とできるものだと思っていた。
 けれど、職場の女性たちとは恋愛に発展する雰囲気ではなく、友人の紹介で出会った女性たちとは何故か気が合わず、気付けば最後に彼女がいたのは学生時代。俺はもうすぐ25歳。彼女がいなければ恥ずかしいなんて言われる時代ではないけれど、寂しさはあった。
 俺が参加した恋活パーティーは立食形式で、大勢の女性と話すには効率的だが、ちょっと疲れた。
 パーティーの最後に配られるシートに、女性の名前を第1希望から第3希望まで記入しなければならなかった。つまり、カップルになりたい相手の第1希望から第3希望ということだろう。
 けど、俺はそのシートを記入できなかった。大勢の女性と話しすぎて、第1希望も第2希望もわからなかったからだ。どの女性も記憶が曖昧で選べない。というか、みんなわかっているのか? たった2時間かそこらのパーティーで、全員の容姿と性格を記憶して、自分の中でランク付けする。そんなことできるのか?
 当然ではあるが、俺は誰ともカップル成立しなかった。
 やっぱり向いてなかったな。そう思って会場を出た時に話しかけてきてくれたのが、由依だった。
 その時の由依は黒髪をハーフアップにしていて、上品なブラウスに派手すぎないワイドパンツという清潔感のある出で立ち。だけど、そのお手本のような格好はむしろ、頑張って恋活パーティーという場に馴染もうとしている感が満載で、たぶん、学生時代も校則をずっと守っていたんだろうなと想像できる堅苦しさがダダ漏れだった。
 パーティーの最中に由依と話した記憶は無い。だけど、照れ笑いを浮かべて俺に連絡先を聞いてきた由依の儚げな雰囲気を今でも覚えている。
 その後、由依が誘ってくれて何度か食事に行った。由依と過ごす和やかな雰囲気は想像以上に心地良かった。俺の話を否定せずに聞いてくれる気遣いも嬉しかったし、彼女自身の話も面白い。
 もっと彼女を楽しませたい、笑顔になってほしいという気持ちが強くなってきた頃に、由依に告白された。

 由依との出会いを振り返っていた俺は、スマホの通知音で我に返る。由依からの返事だ。

『大輝は休みが少ないみたいだから心配。体調には気をつけてね』

 由依からの気遣いがひたすら嬉しい。忙しくてなかなか休めないと俺が言っていたのを由依は覚えてくれていたのだ。
 仕事の休みが少ないというより、自然と予定が詰まってしまうのだ。相手が誰であっても、誘われると予定を入れてしまうからだ。気付けばスケジュールはいつもパンパン。誘いを断った時の残念そうな顔を見たくない。相手を否定してしまった気分になる。
 人気者になりたいわけでもないし、仕切りたがりなわけでもない。できるだけ、誰にも嫌われたくないし、傷つけたくない。細やかな望みだ。
 とは言え、確かに身体は疲れているから今日は休んでいたい気もする。ああでも、由依にも会いたい。悩んでいると、別のメッセージが届いた。友人の莉奈りなからだ。

『今から会える? てか、今すぐ来て! 駅前のカフェ! 愚痴聞いて! はーやーく! 』

 莉奈はとても正直でわかりやすい。行きたい場所、してほしいこと、全部が具体的だ。だからこそ安心する。社交辞令なんて難しいものは使わない。
 男女の友情は成立するか否か。飽きるほど議論されてきたテーマだろう。だけど、俺は成立すると思う。俺と莉奈は間違いなく友人だ。
 俺が中学生の頃、莉奈が近所に引っ越してきた。中学生と言えば異性と接触するのに最も敏感になる時期だが、莉奈はまったく怯まない性格で、毎朝のように俺と一緒に登校したがった。
 というか、最初は重い荷物を俺に持たせることが目的だったようだが、莉奈の強引な行動に巻き込まれる形で俺は彼女と毎日一緒に登校した。そんな乱暴な性格の莉奈に対して、恋愛感情なんて芽生えるはずがない。
 当然、同級生たちからは付き合ってるのかと何度も冷やかされたが、莉奈は俺にずっと友人として接してくれた。高校生になっても、卒業しても、社会人になって仕事が忙しくなっても、莉奈だけは頻繁に連絡をくれた。最初の出会いでは嫌な奴でしか無かったが、いつの間にか最も気が置けない相手になっていた。
 ただ、莉奈はトラブルに巻き込まれがちで、今の職場も人間関係がうまくいってないらしい。そのせいで、愚痴を聞いてほしいと突然呼び出されることもある。
 どうやら今回も職場で何かあったらしく、莉奈のメッセージからは怒りと不満がひしひしと伝わってきた。仕方ない。大切な親友の愚痴ならいつでも聞こう。
 念のためスケジュール管理アプリを確認してみると、あることに気が付いた。来月は由依と付き合い始めて1年の記念日だ。嬉しくなって反射的に由依にメッセージを送った。
 
『来月で付き合い始めて1年になるから、当日は盛大にお祝いするよ。楽しみにしてて』

『ありがとう! 嬉しい! でも、無理しないでね。私は記念日とか気にしないタイプだから』
 
 なんだ、由依は記念日を祝うタイプじゃないのか。残念だ。せっかく2人で盛大に祝いたかったのに。
 ちょっと落ち込んでいる間にも、莉奈からは鬼のように追加でメッセージが送られてきていた。

『はーやーく! 大輝、寝てるの? 起きてるよね? 既読スルーだめ! 』

 莉奈が身勝手なのはいつものことだったので、もう腹も立たない。
 今日は特に予定も入っていなかったから、莉奈ともすぐ会える。

『今から準備する』

 そう返事をすると、莉奈から最高の喜びを表現したスタンプが送られてきた。
 朝食を急いで食べ終え、身支度にかかる。
 よし。莉奈の愚痴を聞く代わりに、惚気を聞いてもらおう。恋人の惚気を思いっきり吐露できる相手なんて莉奈くらいだから。

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