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【連載小説】怒らない恋人/第二章:2

前回の話

「……で。その先輩がね、ほんとにムカつくの。私にばっかり仕事押し付けてくるし。ちょっとミスしただけなのに、ずっと文句言ってきて。この前なんか……」

 俺の向かい側に座っている莉奈は、職場の先輩女性社員がいかに意地悪で無能なのか延々とプレゼンしている。俺は莉奈の話よりも、ふかふかすぎるソファーの座り心地が気になって落ち着かない。莉奈の話はほとんど聞いていないけれど、最終的に投げ掛けられる「ねえ、私が悪いのかな? 」という問いに「莉奈は間違ってないよ」と答えてやれば、すべてが丸く収まると知っている。だから問題ない。
 莉奈に指定された駅前のカフェ。店内奥にある4人がけのソファー席に莉奈は堂々と1人で座っていた。そろそろカフェは混んでくる時間帯かもしれないのに、莉奈は勇気がある。でも、俺が来るからゆったりしたソファー席を選んでくれたのかもしれない。そう考えると文句も言えなくて、今、俺はちょっと居心地が悪い。
 店員がパンケーキを運んできたタイミングで、莉奈の話は一旦途切れた。テーブルに置かれたパンケーキの上には、宝石みたいに輝く色鮮やかなフルーツたち。イチゴ、キウイフルーツ、ブルーベリー。SNS映えしますよ! どうぞ写真撮ってください! と言わんばかりの主張。

「ところで、由依ちゃんとはうまくいってるの? 」

 パンケーキの写真を撮りながら、莉奈が問い掛けてきた。由依の名前が出てきたことに反応し、俺はふかふかソファーに沈みそうになりながらも身を乗り出す。居心地の悪さはいつの間にか消えていた。

「ああ、うまくいってるよ。由依は本当に素敵だ。理想の恋人なんだ」

「えー! すごい! そこまで言えるなんて、相性バッチリじゃん。由依ちゃんみたいな良い人と会えて大輝は幸せ者だね」

 莉奈の率直な褒め言葉は照れるけれど、なんだかんだで気分が良かった。ワガママなところもあるが、莉奈は良い奴だ。一緒にいると気が楽で自然体でいられる。職場の同僚や他の友人には照れくさくて惚気なんて言えないが、莉奈が相手なら謙遜の必要もない。

「お似合いだよー。ま、私と潤也くんほどじゃないけどね!」

 今度は莉奈が惚気てきた。莉奈の彼氏、潤也くんとは会ったことがないけれど、何度も話は聞かされている。飽きるほど話を聞かされているから、いつか会ってみたい。
 
「潤也くんとは婚約指輪を一緒に買いに行く約束をしてるんだけど、私が忙しいからなかなか都合がつかなくて。でも、どんな指輪がいいかもう考えてるんだ」

 莉奈はスマホに保存している指輪の写真を見せてきたが、どの指輪も同じようなデザインで俺には区別がつかない。写真をスワイプする莉奈の指をボーッと眺めるだけだ。
 ……そうか。莉奈と潤也くんはもう婚約してるんだった。おめでたいことだ。俺と由依もいつか結婚するんだろうか。考えていないわけじゃないけど、まだ具体的ではない。
 由依のことは大好きで理想の女性だと思っているが、ひとつだけ気になることがある。由依は、莉奈の名前に敏感だ。俺の口から莉奈の名前が出ると、急に由依の顔から笑顔が消える。莉奈の名前を聞きたくないらしい。
 俺は由依と楽しいことを共有したいだけだ。だけど、由依は不機嫌になってしまう。彼女の不機嫌の理由がよくわからない。

「このカフェのパンケーキ美味しいよね。店の雰囲気もいいし。由依ちゃんとのデートにちょうどいいんじゃない? 」

 パンケーキの上に乗っているカットフルーツをフォークで崩しながら、莉奈が提案した。
 俺は感動する。確かに! 北欧風の落ち着いた内装は女性ウケしそうだし、客層もカップルが多い。きっと由依も喜んでくれる。

「ねえ、大輝。知ってる? イギリスにはパンケーキデイっていう祝日があるんだって。お腹いっぱいパンケーキを食べるために国民全員が走り回るらしいよ。日本にもあればいいのに」

 莉奈の話題はすぐに飛躍する。パンケーキデイっていったいなんの話だ。
 莉奈の情報にどこまで正確性があるかは疑問である。SNSで拾ってきた情報を自分なりに脚色している可能性も大いにあるが、パンケーキデイの話はちょっと興味深かったのでスマホで調べてみた。すると、本当にパンケーキデイは存在したので驚く。パンケーキを食べる日が制定されているなんて面白い。
 よし。由依にも教えてあげよう。「知らなかった! 」と、驚いてくれるかもしれない。

 そういえば、由依は今頃どうしているだろう。

 今朝、由依から送られてきたメッセージを思い出す。「できれば会いたいけど、疲れてるなら無理しないでね」と。由依はいつも控え目だ。
 今すぐ会いに来てと言ってくれれば飛んでいくけれど、由依は滅多にそんなことを言わない。恋人とはあまりベタベタするタイプじゃないのかもしれない。
 たまには俺からも由依に連絡したいけど、何か用事が無ければ連絡してはいけないような気がする。だけど、カフェに一緒に行きたいという理由があれば、由依に連絡できる。莉奈のおかげだ。
 由依にパンケーキデイの話を聞かせたらどんな顔をするだろう。このカフェに連れてきたら喜んでくれるだろうか。

+++

「莉奈もパンケーキが好きなんだ」

 俺が莉奈の名前を出したのは、メニュー表を開いた由依が「パンケーキにしようかな」と言ったからだ。莉奈が聞かせてくれたパンケーキデイについての豆知識を披露しようとしたのだが、由依の表情が凍りついていることに気が付いて黙り込む。由依がメニュー表を閉じた。

「大輝。今は私とデートしてるんだよね? 」

 由依が唐突に当たり前のことを聞いてきた。何かの冗談かと思ったけれど、由依は真剣そのもので、俺の答えを待っているようだった。
 先日、莉奈と一緒に訪れたカフェに、今日は由依を連れて来ている。どうしても一緒に行きたいカフェがあると伝えたら由依は喜んでくれた。カフェに入った瞬間も嬉しそうだった。でも、今は険悪な雰囲気。
 由依は何かを不満に思っている。だけど、俺は由依の気持ちがわからない。莉奈の名前を出しただけで、いつも由依はぴりぴりする。何故だろう。何度も考えてたけど、わからない。

「やっぱり俺は、由依が何を不満に思っているのかわからない」

「私の前で、莉奈さんの話をしないで」

 それは何度も言われたから、俺もわかっている。だけど、由依は誤解しているのだ。俺は莉奈の話をしようとしたわけじゃない。パンケーキデイについて話そうとしただけだ。由依に遮られたから最後まで話せなかった。もっと話を聞いてほしい。楽しかったことや、嬉しかったこと。すべてを由依に聞かせてあげたいけど、由依に嫌な想いをさせているのも事実だ。

「そっか、ごめん。でも、莉奈は俺の大切な友人だから、そんなに嫌わなくてもいいだろ」

 由依が莉奈を嫌っているのは悲しい。会ったこともないのに、俺が口下手なせいで莉奈の印象が悪くなっているし、由依も辛そうな顔をしている。

「嫌ってはないよ。ただ、私の前で莉奈さんの話をされると複雑な気持ちになるの。わかる?」

 ひとまず由依が莉奈を嫌っていないと聞いてホッとした。だけど、由依の気持ちがますますわからなくなってしまう。嫌っていないなら、俺が莉奈の名前を出しただけで、どうしてそんなに辛そうな顔をするんだ。考えても考えてもわからないので、正直に答える。

「いや……。わからない」

「恋人の女友達について話を聞くのは嫌なのよ」

 ますますわからない。わからないばっかりだ。好きな人のことは何でも知りたいから、俺は由依が友達について話してくれたら嬉しい。その友人が男であっても女であっても。でも、由依は違うのか。
 ひょっとして、由依はまだ大きな誤解をしているのではないだろうか。莉奈が俺の浮気相手だと疑っているのではないか。ただの友達だと何度も説明しているのに。

「俺と莉奈はただの友達だよ。やましいことは何も無い」

「それはわかってる。でも、嫌なの」

 それも違うのか……。聞けば聞くほどわからない。浮気を疑っているわけでもないのに、どうして嫌がるんだ。
 由依とは恋人同士なのに、こんなにわかり合えないなんて悲しくなってきた。

「悲しいよ。莉奈は本当に良い奴なんだ。優しいし、話してて楽しいし、きっと由依も仲良くできると思うのに」

 ちゃんと話を聞いてくれれば、由依も莉奈のことも気に入ると思うのに。どうして話を聞いてくれないんだろうか。
 ふと見ると、由依も悲しそうな顔をしていたので罪悪感に押し潰されそうになる。頑張って由依を喜ばせようとしているのに、失敗してしまった。

「俺は由依のことが大切だから、由依が嫌がることはしたくない。どうすればいいか考えるよ。いつも苦しめてごめん」

 とりあえず、今は謝るしかできなかった。由依が悲しそうな顔をしているのは嫌だ。由依には常に笑顔でいてほしい。
 
「わかった。私も言い過ぎた。大輝の友達を悪く言っちゃってごめんね」

 由依が笑顔になったので安心する。良かった。由依は怒っていない。険悪な雰囲気は霧散して、和やかな時間が戻ってくる。やっぱり由依には笑顔が似合う。何があっても笑顔でいてほしい。

「いや、いいんだ。それに、多少悪く言われても莉奈は気にしないさ。あいつ、本当にいい奴だから」

 俺の言葉に、由依は黙って微笑んだ。由依と目が合うと嬉しくなって自然と笑顔になる。このカフェは莉奈が教えてくれたんだと自慢したくなったけど、由依がパンケーキを注文しなかったので、もしかしたらメニューが気に入らなかったのかもしれないと不安になり、言えなかった。
 だけど、由依は莉奈を嫌っていない。それがわかっただけでもじゅうぶんだ。いつか理解してくれる。莉奈も由依も、とても素敵な人だから。

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