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夜想曲(短編) 3


 少年はきのこと苔の森を抜けて、また石畳の続く道に戻った。霧がかかっていて、景色が白っぽく見えた。しばらく歩いていくと、人間の大人たちが木造の建物を取り囲んで、何やら作業をしていた。大柄な男が話しかけてきた。

「よう坊や、おっちゃんたちが建てた店、カッコいいだろう?ここは食事処になるんだぜ」

 終末堂は?

「それはあっちにある店だな。ここは姉妹店の終焉堂だ。最近客が増えて大変なんだ。だからもう一つ店を作った。そうだ、終末堂に行くならこの道をまっすぐ行けばいいからな」

ありがとう

「食べるならぷぷら料理がおすすめだ、あれは美味いからなぁ。運が良ければ梟にも会えるぞ、たまに店の前の木にとまってるんだ。楽しんできな。じゃあな」

行ってきます

 少年はおじさんに軽く頭を下げて、歩きだした。終末堂にはすぐに着いた。どうやら運が良かったようで、真っ白な梟と目が合った。

「子どもとは、珍しい。悪趣味な坩堝へようこそ。中は賑やかではありますが、あなたのような少年が心から楽しめる所ではなさそうだ。時々ここへ来て人の成すことを観察していると、日に日に滑稽になっていく。中に入るなら、共に騒ぐよりも冷酷にまなざす方が楽しかろうと思いますよ」

食事代は?

「捉え方によっては無料ですが、肝心なのは満足を知ることでしょうね」

あなたは中に入らないのですか?

「わたくしにとっては木箱の中の遊戯より、外の世界の自由の方が尊いものでございますから」

 扉が勝手に開いて、鈴が鳴った。一歩踏み入れると、人々の雑談の声と雑音混じりのレコードの音、食器が擦れ合う音が一気に少年の耳に飛び込んできた。品のある装いの人々が優雅に踊ったり、食事を楽しんだりしている。店主や店員は皆薄汚れた、少年と同じくらいの背丈の大きなぬいぐるみだった。

 酔いが蔓延っていて、人々は踊らざるを得ないようだった。窓には重厚感のある毛並みの良い布がかかっていて外が見えない。壁には大きな五線譜が描かれていて、人形の足がいくつか、音符代わりに吊られている。

 店内を見渡していると、背後で扉が開く音がして、右腕に大きな火傷の痕がある女性が入ってきた。

「ちょうどあんたが入っていくのが見えてね、子どもなんて珍しいから着いてきちゃった。あんた綺麗な目をしてるね」

綺麗な目?

「そうさ、見てみな」

 女性は小さな鏡を渡してくれた。少年は部屋の隅っこにちょうちんを置いて、それを受け取った。目を見開いた。鏡には少年の顔以外何も映らなかったのだ。騒がしい店内の様子はどこにもなく、真っ白な世界に少年だけが存在していた。その顔には翡翠色の大きな瞳がはまっていて、まるで別人のようだ。

 少年は鞄の中から目が入っていた瓶を取り出した。空になっていた。本物の少年の目は失われてしまった。慌ててしゃがみこんで鞄の中を探した。

「じゃあ、あたしは向こうで踊ってこようかな。その鏡、あげる。いらないから。最果てにきてしばらく経ったら、私の顔、写らなくなっちゃったんだよね」

 そう言い残して、女性は奥で踊っている人たちに混ざりにいった。少年は鞄の中を何度も探し直したけれど、結局前の目は見つからなかった。諦めて立ち上がった時、肉が焼ける匂いがして、端の席で談笑している二人の元へ料理が運ばれたのが見えた。

 テーブルに置かれたのはぷぷら料理だった。彼らは笑顔で麦酒を酌み交わし始めた。最初は幸福な不戦勝者の笑顔だと思った。けれども、それが偽りの笑顔だとすぐにわかった。テーブルの下では互いの足を蹴り合っていた。

 奥から料理人らしきぬいぐるみが出てきた。食事をする二人に話しかける。
「どうだい?ぷぷらは美味いだろう。今日のは不思議でね、菫色の目をしていたんだ。大抵は橙色か水色なのにさ」
 彼の手に握られているのは、あの目だ。

少年は料理人と二人の間に割って入った。

どうしてぷぷらを食べるのですか?

「どうしてって、そりゃ美味いからだよ。この店の近くには肉や果実のなる木があるが、それだけじゃあ物足りない。それに最近お客さんが増えたからより多くの食材と従業員が必要になったんだ。ぬいぐるみだけじゃ仕事がこなせないから、ぷぷらを食べたあと、その目を人形にはめて働いてもらうんだ」

 どうやら最果ての地の民たちは、瞳に命が宿っているらしい。ぷぷらたちも、瞳さえ無事であれば身体が変わっても大丈夫なのだろう。たしかに、ぬいぐるみの他にも球体関節の人形たちが忙しなく働いていた。少年は川で出会ったとんがり帽子の人形たちを思い出した。少年は菫色の目を見つめた。

「ん?これが気になるのかい?」

目と、要らない人形もありますか?

「ああ、片方の目しか上手く取り除けなくてな。それでもいいかい?」

はい

「そんじゃあちょっと待ってな」

ありがとうございます

 シェフはキッチンへと戻って、目のはまっていない球体関節人形を持ってきてくれた。少年はそれらを受け取って、目は瓶に入れて鞄にしまい、人形は大切に両手で持った。

 奥の方に樽が並んでいるところがあって、そこから物音がした。少年はそちらに行った。柵で囲まれた広い空間で人形たちが働いている。そこだけ床が高くなっていて、ちょうど少年の目線と人形の目線が同じくらいの高さになった。

 人形たちは虫籠に入った青色の蝶の羽に優、もう片方の虫籠に入った半透明の蝶の羽には劣と刺繍していた。その羽は薄い和紙のような質感のものでできているようだった。縫い終わった蝶はまた籠に戻された。それが繰り返される。手際の良い人形が、もたついている人形を馬鹿にした。

「お前、そんなんじゃ雇ってもらえないぞ、林檎一個分の価値もない。床下行きだな。俺は立派な店員になるけど」

「そんな事言うなよ、僕だって頑張ってるのに。お前の方こそちょっと仕事ができるからって生意気だぞ。お前だって無価値だ」

 二人が喧嘩を始めた時、ぬいぐるみの店員がやってきて、二人を掴んで外に出した。手際が良い人形にはエプロンを着せた。

「やった!これで俺は今日から店員だ!」

 人形はキッチンの方へ走っていった。もたついていた方の人形は足を外されて、床に空いた穴に投げ込まれた。ぬいぐるみは彼の足に紐をつけた。四分音符の代わりにして壁の五線譜に加えてから、業務に戻った。足から伸びた蝶々結びにされた紐が、揺れた。

 黙々と作業をしていた別の、薄紅色目の人形がぼくの方へ来た。

「あいつら、二人とも馬鹿なんだよ。ここで働くのが幸せだと思ってる。床下行きよりはマシだってだけで、結局俺たちはずっとここに囚われていることに変わりないのにさ。虫の羽に優劣をつけるのが上手いかどうかを競って、互いの仕事ぶりに値札を付け合う。そんな行動自体が無価値なものだ。相手の値段を下げるのに必死で、自分につけられた札なんか見やしない。俺たちは人間やぬいぐるみと同等の価値にはなれないって、初めからわかりきっているのに現実と向き合おうとしない。本当は、どんな羽を持ってたって蝶々たちの方が俺たちなんかよりはよほど綺麗なのに認めない。本当に馬鹿だね」

君はここで働くの?

「忙しい店員も床下行きも、どっちもごめんだね。だからこうして刺繍係として、可もなく不可もない働きぶりを見せているのさ。俺はただひたすら羽に刺繍するだけの存在。それでも構わないさ」

 痛そう

「痛そう?何がだ?この地には、心の痛みはあっても身体の痛みなんて存在しない。あるとしても、本の中だけのもんだ。常識だろ?俺は食われたが、それほど残酷なことじゃない。この蝶々たちだってそうだ。兎に角、俺はもう何も望んじゃいないし、今のままで構わない」

外に出たいとか、綺麗な星が見たいとか、思わないの?

「星が美しいだなんて誰が決めたんだ?月だって、好きじゃない。俺は別に外に未練なんかない。少し前に、仲間の元へ帰るって言って無理矢理逃げ出した奴らが六人くらいいたけど、きっとろくなことになってないだろうな。さっきの二人と同じで、リーダーも信じたものを疑わない性格だったからさ」

 少年は赤帽子は馬鹿じゃないと言いたかった。彼は信じることで前を向いていた。他者から見れば滑稽でも、彼は間違いなく賢い人だ。ただ、少年は青帽子のことを考えるとその賢さを肯定できないから、とりあえず帽子たちのことは言わないでおこうと思った。彼が外に出たいと思っていないのなら、外のことを話すのは余計なことだ。
 
「兎に角、俺は外には出ない。籠の中の鳥がみんな外へ出たがっているなんて、そんなのも誰かが勝手に言い出したことだ。可哀想だとか、助けてあげたいだとか、そんなことを思いたいだけだ。そうやってわざとらしく俺たちを被害者にする奴らのことが俺は嫌いだ。まあ、世界がそんなふうだって決めつけている俺も、孤独なひねくれ者を装いたいだけだけれど。鳥の気持ちだって、知ったこっちゃないけど。ここは不道徳者だらけの酒場だから、俺にとっては意外と心地いいのさ。倫理の味がする酒なんて不味くて飲んでいられないだろう?ここでは上っ面以外上品である必要はない。だからここにいる奴らはみんなある意味素直で、またある意味では残酷だ。馴染めない奴に必要なのは諦念だな」

諦念?

「そうさ。お、ちょうど床下が開けられるみたいだ。あっちにいって覗いてみな。上手く諦められなかった不良品の末路だ」

 ぬいぐるみの店員が、食事を楽しんでいた何人かの人間たちに、紐につけられた人形の腕を渡していた。少年は紅に言われた通りにそちらへ行った。店員は少年にも一本腕を渡してきたけれど、受け取らなかった。

 床が開けられて、中には沢山の汚れた足のない人形達が転がっていた。店員がオルゴールを鳴らし始めると、人間たちはみな腕がついた糸を床下に垂らした。

 少年は床に這うようにして人形たちを覗き込んだ。レコードの音にかき消されそうになりながら、可愛らしい音色がぽろぽろと溢れて、足のない人形に三拍子が降りかかる。彼らは一斉に垂らされた腕を掴もうと体を引きずって集まった。いざ腕に手が届いても、それはぷつりときれてぼとりと落ちた。何本も何本も落ちた。

 人間たちは嗤った。店員も嗤った。

「皆さん惜しいですね。もう一本試してみます?釣り上げた方はそのまま持ち帰って飼っていただいて構いませんよ」

「じゃあもう一度だけ」

「私も」

 人間たちはまた腕を垂らして、人形たちが群がるのを眺めた。少年にはわかった。彼らは初めから釣り上げる気なんてない。糸は絶対に切れる。なんて汚い遊び方なんだろう。

 もういっそ人形たちの腕も外してあげたらいいのに、などという酷いことを一瞬考えてしまった。救済ごっこは人間たちが飽きるまで続いた。きっとこれからも、音楽は続いていく。床が閉められて、彼らの存在は再び隠された。

 少年は樽の方へ戻った。薄紅は作業を黙々と続けていて、ぼくの方を見ずに言う。

「諦念が必要だって言った理由はあれだけじゃない。ほら、そっち見てみろよ」
 
 彼が縫い針を向けた方では相変わらず人々が踊っていた。しばらく眺めていると、そのうちの数人の身体が不気味にうねり出して、ある者は髑髏のような姿に、ある者は蜥蜴のような姿に、そうやって人ならざる姿に変身した。そこへ店員のぬいぐるみがやってきた。

「おやおやお客様、困ります。当店は人間以外お断りですから……。さっさと出てけ!汚い化け物め!!!」

 妖たちは急な店員の態度の変化に対して、わけがわからないといった様子で怯え震えて、すぐに店を飛び出していった。しかし誰も気にせずに踊り続けている。

「ほらな、足ることを知らないやつはああやって人間を辞めていくのさ。もう人間だった頃の記憶なんてほとんどないだろうな。見えない奴らには忘れられて、見える奴らには虐げられる。どこへいくこともできずに彷徨う羽目になる。無料ってのは怖いだろう?金なんかいらない代わりに、自分の存在が奪われてしまう。あいつら妖怪はいつか本物の無になっていくのさ」

 先程鏡をくれた女性がこっちへとやってきた。

「ここで踊るの楽しいわね、あたし、もう帰りたくなくなってきちゃった」

 一緒に踊っていた二人はどこへ行ったの?

「誰?それ。あたし以外で踊るのを辞めた人はいないわよ。それにしても楽しすぎて不思議ね。あそこにいるおじ様なんて、もう何時間踊ってるのかわからないんだって」

 やはり彼女は妖怪になってしまった彼らのことを忘れているようだった。たしかに奥の方では、中年の男性が一際楽しそうに踊っている。少年たちの前を通りがかった店員のぬいぐるみが立ち止まった。

「ああ、あの人ですか。常連さんだったんですけどもね、入り浸るようになってから、かれこれ五年ほどですかね、踊り続けていらっしゃいますよ。いやあ、残念ですねえ。そろそろお帰りいただかなければいけなくなるでしょう。悲しいですねえ」

 店員はニヤリと笑った。これっぽっちも悲しそうではなかった。少年は逃げていった妖怪たちのことが気になって店を出ようとした。それを店員が引き止めた。

「ああ、お待ちくださいお客様。外は雨が降っていますから、ご自由に傘をお使いくださいね。それでは失礼いたします」

 そのままニヤニヤしながらキッチンの方へと戻っていった。

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