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不思議の住処 4

裏稲荷

 龍と私が顔を出した先は、真昼の日差しが降り注ぐ神社の池であった。龍は私を地上へと押し上げた後、蛇の姿になって這い上がってきた。私が彼に礼を言うと、いえいえお気になさらず、と彼は首を横に振った。

 そんな私たちの様子を、少し驚いたような表情の明石が切り株でできた椅子に座って見ていた。手には釣り竿が握られている。神社で釣りとははたして許される行為なのか疑問ではあったが、それについて問う前に、明石は蛇に話しかけた。

 おお、龍坊じゃないかい?

 明石殿、お久しぶりでございます。宇迦之御魂神様はいかがお過ごしですか?

 変わりなく元気だ。

 それはよかった。明石殿は?

 僕の方は最近忙しく、宇迦之御魂神以外の手伝いもしている。

 それはそれは、ご苦労様です。

 龍坊も最近顔を見せないと思っていたけれど、何か忙しいのかい?

 ええ、今日も水神様や海神様たちへの伝言がありまして、龍たちは皆出払っております。

 水の流れを保つというのは重大な仕事だからね。いつもありがとうね。

 はい、それでは私はこれで、失礼いたします。

 龍坊は誇らしげに身体を反らし、鳥居の方へと這っていった。私はそれを見送ってから、あたりを見渡した。

 ここが明石の家か。

 ああ、もしかしてまだ言っていなかったかな。

 ああ、知らんかった。

 僕、実は狐なんだけれど。

 それは知っている。

 そうかい。

 何故、とは聞かないのか。

 ああ、それほど興味がないし、もし興味があったとしても、聞かなくてもわかるさ。どうせこの間君の家に手紙を持っていた時の僕の姿でも見かけたんだろう?

 そうだ。

 ほらね、聞かなくてもわかる。

 明石は飄々とした態度で、蝶々を目で追いながらこたえる。彼の纏う身軽さには敵わないなと思う。夜空の広がる池の前に座って眺めながら、明石に問う。

 ここは本来ならば浅い池に少しばかり葉や花や、錦鯉が浮いているだけのところだろうに、なぜ異界と繋がっているのだろうか。知っているか?

 ここは裏稲荷だからね。

 裏稲荷?

 並行世界、に近いようなものだ。ここは、いつも君がいる人の世とは少し違うんだよ。

 よくわからんな。

 わからなくてもいいさ。大したことじゃあない。

 異界の月は錆びていて、何か妙であった。本物ではなかった。

 本物はね、僕が釣り上げてしまったのさ。

 何故、釣り上げたのだ。

 本当は星を釣りたかったのだけれどね。

 星?まさかお前、星を売る気ではなかっただろうな。

 何故知っているんだい?

 今度は何故と聞くのだな。

 たまには何かに興味を持ってみるのもいいと思ってさ。

 そうか。
 
 そうだ。
 
 問いの答えは単純に、チラシを見たから、だ。

 ああ、あれは僕が手を滑らせて落としてしまったものだ。

 星を釣るはずだったのにどうして、月を釣った?

 月の方から、釣られにきたんだよ。

 ほう、なぜ?

 まったく、質問の多い人だな。

 はよ続きを。

 彼は月をやめて丘になりたかったそうだ。

 では、公園に彼を埋めたのもお前か。

 左様。己の体に花が咲くのを楽しみにしている。しかしあそこは植物が育たない土地だからね、今度山に行ってに草祖草野姫でも頼んでやるつもりだ。

 星は、どうなのだ。

 どうとは、どういうことかな。

 星は売られることをどう思っているのか、ということだ。

 星は出世魚のようなものだ。それでいて、無機物だ。この池に特別な金平糖を巻いておけば、やがてそのうちの一割ほどが星になる。他は龍たちに食われてしまう。まあ、龍神様への敬意も込めて、多めに撒いてはいるから構わないのだが。星になれたとしても、病にかかれば泳げなくなり、流れ落ちてしまう。

 無機物が病になるのか。

 そういうことも、ある。兎に角、それを絶滅せず、増殖もしない程度に釣り上げて、薬屋やら占い師やらに売っているのだ。

 では月が自我を持っているというのが特殊なのか。

 あれは、厳密に言えば月ではない。月という名の妖なのさ。月夜見命はこちらとあちらをよく行き来なさっているが、急な出雲への出張があり、しかもしばらく帰れぬとあって、その留守を月に任せたのだそうだ。だが月はすぐに飽きたらしい。

 ふむ、なるほど。十月ではないのに出雲までとは、ご苦労なことだな。

 質問される前に言っておくが、今現在月の役目をしているのは、僕が用意したただの金色に塗られた鉄板だからね。

 なぜそんなにあの町について詳しいのだ。

 時々遊びに行くからさ。梯子をかけておけば、自力で戻れる。梯子を外されても、風の迎えが来る。時々、ふと現れる路地からもあちらの世界に繋がることがあるらしいから、君の場合、そういった幻の道から迷い込んだのだろうね。

 なるほど。しかし明石は何故そうも頻繁に行くのだ。あそこは、ほとんど何もない場所じゃないか。

 それが良いのさ。それにね……。

 なんだ。

 あそこは誰もいない街などではなく、大勢がいる町なんだよ。見ようとした時にだけ、見える。君に見えていないものを、ないものとして語るのはよしたまえ。

 なぜ、灰が降るのだ。

 砂時計のようなものだから。

 砂時計?

 世界は、裏と表だけではないということ。僕らが雪を見るのが当たり前のように、あそこは灰が降るのが当たり前というだけのこと。

 明石はもう話すのには飽きたといったふうに小さくあくびをして、釣り竿を丁寧に片付けて立ち上がり、伸びをした。それから、神妙な顔をする私を見下げて、不思議そうに首を傾げた。

 どうした?

 星を探しに行こうと誘われたのに、返事をせぬまま帰ってきてしまった。

 あれはむしろ返事をしてはいけないよ。快諾すれば最果の地まで連れ去られ、君はもう戻ってこれなくなっていたところだ。

 では、せめて、遠慮しておく、とだけでも言えばよかった。

 それもだめだ。断れば怒りを買い、死にはしないが何かしらの復讐が待っている。

 断っただけでか。

 ああ、そうさ。目を合わせた時点でこちらの不利益が確定しているのだ。隠し神とは、そういうものだと噂では聞いている。しかし、一部の物知りの間では隠し神の連れて行く先は幸福の里であるとも言われている。あくまでも噂であるし、本当のところがどうなのかを確かめるほどの興味はないが、触らぬ神に祟りなしというやつさ。

 釣り上げた星、私に売ってくれないか。

 まさか君。

 ああ、明石の考える通りだ。

 百万、払えるのかい。

 だいぶ時間がかかるとは思うが、必ず。

 冗談だ。持っていってあげたらいいさ。見えていないものをないものとして語ってはいけない、そう言ったのはこの僕だ。隠し神の本質は、僕の知識の外にあるのかも知れない。ここは池だからね、飛び込んでしまえばいいよ。帰りは喫茶『阿吽』を探してみるといい。あそこは繋がっている二つの場所のどちらか、あるいは両方が夜の時に、常連にだけ開かれる裏扉があるから。

 明石は持っていた風呂敷を開けて星を一つ取り出し、私にくれた。それは思っていたより軽く、輝いてもいなかった。

 私は星を握りしめて、夜空の池に飛び込んだ。


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