「私は彼女の親友だったらしい」第16話

そこに丁度、堺先生が通りかかった。

「ずいぶん長く話をしてたな」

今から帰るところか? と問いかける堺先生の顔は優しい。

 先生の顔を見た瞬間、突然涙がぽろぽろと流れてきた。

「おい、どうした」

慌てた先生が駆け寄って私の背をさする。

「あ、ごめん触ったらだめだな」

セクハラになるからだ。

「……大丈夫です、ありがとうございます」

「少し、落ち着いてから帰ったらどうだ?」

 隣の進路相談室に連れて行かれる。

 ただの倉庫となっている部屋は、隣のカウンセリング室ができてからさらに物が多くなったようだった。一面に本棚。びっしりと参考書や大学のパンフレットで埋め尽くされている。

 パイプ椅子に座るように促され座ると、椅子はキィと音を立てた。

「使うといい」

箱ティッシュから一枚のティッシュを渡される。

 目頭に当てると、涙はどんどんとあふれてきた。先生はあわてて、

「もっと使うか、いくらでもあるからな」

箱から二枚取り出し、私に手渡す。

 受け取ると、もっといるか、とさらに五枚渡される。さすがに多い。思わず笑ってしまった。

手にはもう乗せられない。あふれて膝の上に落ちてしまったティッシュの使い道は、濡れたティッシュを包むしかなさそうだ。

「何があったんだ」

私は事の顛末を話した。自分のことがネットで言いたい放題書かれていること。甲斐田さんのアカウントを見つけたこと。甲斐田さんが私の情報をどこからか仕入れていて、私のなりすましをしていたこと。そして、間瀬さんからも渡利先生からもこれ以上彼女の死について追及しない方がいいと言われてしまったこと。

短期間で多くの情報が襲ってきて私の中はいっぱいいっぱいになっていた。先生は黙って話を聞いていたが、私が話し終えると

「そんなことがあったのか……」

難しそうな顔をした。

「大変だったな」

受け止めてもらえたのが嬉しくて、こくりと頷く。

 堺先生は私の手を取った。

顔をあげると先生の瞳とぶつかる。じっと見つめられて戸惑ってしまう。

「先生……?」

 力がぐっと籠められる。痛い。顔をしかめると、

「すまん」

 先生は手を放した。

「担任をずっとしているとな。結構詳しくなるもんなんだよ」

「何に?」

そうだなあ、先生は遠くを眺めた。

「担任から見た生徒たちの様子、かな」

何のことかわからず首をかしげると

「高橋はそのままでいてくれな」

また頭を撫でられた。

「高橋のせいじゃないさ」

「どうして言い切れるんですか? 」

「どうしてだろうなあ。でも、高橋のことを見てたら、人のことを傷つけるような人じゃないってわかる」

「そういうもんですか? 」

「そういうもんさ。きっと甲斐田は高橋に憧れていたんだろうな、だから高橋のアカウントなんか作って書きこんでいたんだろうし」

そうかもしれない。私たちが親友だというのも甲斐田さんの勝手な思い込みだと思えば納得いく。

「甲斐田さんと話したことはあるんですか? 」

「担任をもったことはないからあんまりないけど、授業のあとに少し話したことはあるかな」

「何か言ってました? 」

「そういえば憧れの偉人は誰ですかとは聞かれたなあ」

「なんて答えたんですか? 」

「俺の担当は古典だからな。憧れるのは孔子だな」

にやりと口角をあげる。

「『子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁。』ってな」

「えっと……それ、どういう意味でしたっけ?」

授業で勉強したことはあったが、日本語訳がすぐに頭に浮かんでこなかった。

「おいおい覚えてないのか?先生悲しくなっちゃうな……」

先生は私の頬をひと撫でして立ち上がった。

「もう泣いた跡はなくなったから帰れるか?」

「はい……」

「じゃあ帰りなさい、遅くなってしまうよ」

笑いかける先生は、まるでお兄さんのようだった。

昇降口に向かうと人影が。荷物を肩にかけて、壁にもたれかかるようにして待っていたのは、達海だった。

「何?」

「一緒に帰ろう」

すれ違いざまに私の荷物を持ってくれた。自転車を取っておいでと言われて、彼なりに心配してくれたのだとは分かった。

それと同じくらい、どんな話をしたのかを知りたいという気持ちも痛いほど伝わってくる。聞かれる前に話したことをかいつまんで話してやった。彼は驚いた顔をしたが、すぐに顔を曇らせる。

「どうしたの?」

「ああ……いや……」

そういいながらも言うかどうか迷うように視線をさまよわせる。

「言いたいことあるなら言ってよ」

「……佳代子は本当に高橋に憧れてたんだなって思っただけだよ」

自転車置き場まで歩いて行く。

「俺にも高橋のことよく聞いてきていたよ。今日のなんの授業で発表したのかとか、一日どう過ごしていたのかとか」

「……そうだったの?」

「ああ、親友だから気になるのかなと思っていたけど、どうやらそうじゃなさそうだって最近気が付いてきた」

自転車の鍵をガチャリと外す。

「きっと佳代子にとって、俺は彼氏ではなくて情報屋としか思ってなかったのかもな」

達海の心が閉まる音がした。

泣きそうな顔の達海を見ていると無下にすることができなかった。すでに日は暮れていて、暗くなっていた。会話もなく自転車の軋む音だけをさせながら一緒に帰った。

家の前につくと

「ごめんな、今まで」

頭を下げられた。

「頭上げてよ。別に怒ってるわけじゃないし」

「……佳代子は本当に高橋のこと憧れていたんだ」

 それは十分聞いた。しかし達海は続ける。

「あまり話したことはなくても、きっと高橋のこと好きだったんだと思う。その思いが変な形になってしまったのはだめだったと思うけど」

「もういいってば」

 達海が顔をあげた。

「聞きたくないから」

「そっか……そうだよな……ごめん」

 気にしないでいいからと返事をして達海と別れた。階段を上がる私をずっと達海は見ていたが、もう話しかけてはこなかった。

「おかえり」

母さんは困った顔をしていた。

「ネットみた?」

「いいえ、でも学校から電話があったわ」

「だれ?」

「堺先生。優しい先生ね」

高校で大量の写真が貼ってあるいたずらをされたことはニュースになっていたようだ。それを見ても傷つかないようにという配慮のもとだったらしいが、私がテレビをつけた瞬間に、その映像が流れてきて、先生の努力は水の泡となった。

映像としては、すでにはがされた掲示板しか映し出されていなかったが、モザイクがかかった剥がさせる前の掲示板の写真が「視聴者投稿」という形で一瞬映し出される。それだけで気分が悪くなってしまう。インタビュアーは正門前にいた高校生たちを捕まえて

「それについてどう思いますか?」

と問いかけていた。

インタビュアーがマイクを向けた先にいたのは、井上くんだった。

 背中が凍る。嫌な汗が噴き出した。

「そうですねえ……」

彼はもったいぶって、一生懸命考えるふりをする。お願いだから何も言わないでくれと願う。彼はしばらく考えた後、ゆっくりと瞬きをした。

インタビュアーもテレビを見ている私たちも、ごくりと唾を飲んでしまうくらい間の取り方が上手い。

そして彼は口を開き、はっきりとした口調で言った。

「あんなのを信じるなんてみんな馬鹿ですね。他にやることないんですかね」

まっすぐ前を見た視線。見た目がちゃらい彼からまともな言葉が出てきて、スタジオにいるアナウンサーたちはびっくりした顔をしていた。

しかし次の瞬間、

「そうですよね、踊らされてはいけませんよね」

まるで最初から同じ考えだったかのように言ってのけるスタジオ。

結局、ただのいたずらとして処理されてしまい、「みなさんも信ぴょう性のないことをあまり信じすぎないようにしてください」と真顔で言われてしまった。

「彼、いいこと言うわね」

母さんが嬉しそうに言った。そうだね、と返事をする私の心の中はほんのり温かくなった。

自分の部屋に帰って携帯を開く。クラスのラインは、すでに井上くんのニュースを見た人達の感想であふれていた。

『井上かっこいいじゃん』

『見直したよ』

『えへへ、そうだろ!!』

わいわいと盛り上がっている中、

『井上くんありがとう』

私もラインをした。

『いいってことよ、やるならヒーローをしたいからな』

私の中ではもうヒーローだよ。

 今まで井上くんのことを好きではなかったが、なんだかちょっと見直した。

 井上くんのおかげだったのか、次の日、学校では特に噂をされることがなかった。それよりも、「大丈夫?」と聞かれることが多かった。全く白々しいんだからとは思いつつ、

「大丈夫だよ、ありがとう」

と答える私も性格が悪いと思う。


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