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自営業毒親から逃れるまで~はじめに~

2024年2月19日。
サイコミ!で連載され、ドラマ化もされた
「明日私は誰かのカノジョ」の最終巻が発売された。
その内容を地でいった私。

精神病を発症
措置入院経験
自殺未遂
深夜徘徊etc・・・
ギリギリで生きて来たけど、いろいろな相談機関に相談したり
仲間を大切にした結果、ようやく自営業毒親から逃れることができた。

もうアラフォーになってしまったけど、過去の自分を弔うために。

そして、いったいどうやって毒親から逃れたのか。
少しでも毒親から逃れられる人がいたら。
週1ペースぐらいで書いていけたらと思っている。



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1986年5月。
私は長女として産まれた。
母は水商売の女だった。夫は同じクラブの黒服だった。
話によるととても穏やかでとにかく優しい人だったらしい。
しかし母は色恋営業をしていて、そこで貢がれ、より貢いでもらうために
枕をした。
枕の時に避妊に失敗。
それで私ができてしまった。
父は「黒服に対し慰謝料を払うし、働かないで済むように稼いでやる、
いい思いをさせてあげられるのは私だ!」と母に言った。
そしてものすごく上等なルビーの指輪をプレゼントした。

お姫様願望が強い母は興奮して出産を決意。
シンデレラにでもなったかのように舞い上がったのだ。
黒服と婚姻関係にあったにもかかわらず父と関係しているため
どっちが父なんだ?本当に父は太客のほうなのか?
裁判をすることに。
裁判し、結果太客の子と認定。
認定されるにはだいぶん時間がかかり、出生届を出すまでに
生まれてから1年近く経っていた。
私はその間戸籍がなかった。

この話を私はわずか5歳の頃から繰り返し執拗に聞かされていた。
「殺すはずだったのに産んであげたの。感謝してね。」



どう反応したらいいのかわからなかった。
ただ、言ってはいけないことを言っている人ではあると気づいていた。


「黒服に慰謝料を払うと言ったのに、パパは払っていないのよ・・・」
「妹ちゃんも産んであげたけど、もちろん妹ちゃんも殺そうと思っていたの。でも病院の先生が、姉妹なら助け合えるから頑張って産みなさいって。」




母はとても美しい。
真っ黒で豊かな髪に大きな黒い瞳。
そして真っ赤な口紅と香水。
シャネルのNo.5をぷんぷん匂わせていた。
胸元があらわな黒の花柄ボディコンスーツにエルメスの黒いケリー。
「この高級品をこんなずさんに扱っているなんてカッコイイでしょ!」



せっかくのケリーは傷だらけだった。

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