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最近嫌だと気付いたことと、パートナーから学んだこと

 最近ふと気が付いたんだけど、私は母の「誰かと比較して自分たちの幸福感を認識する」行為がなんとなく気に入らない。母の事は1番尊敬しているし大好きな人だけど、そこだけが私としては嫌に感じる部分だと最近わかった。

 具体的にどんな場面で感じるかというと、例えば問題を抱える家族のノンフィクションストーリーなんかをテレビで見ている時に、それを見ながら「うちは普通にみんな仲良くて良かったね〜」と言ったり、他所様の家のネガティブな父親エピソードを聞いた時に「なんかそう考えると、うちのパパはそんな事しないし優しいから良かったね笑」と言ったり。後者に関しては、普段から父に関する愚痴は母と私でよく話すものの、母は父を完全な悪者にはしたくない・娘にそう思って欲しくないという気持ちが根底にあるからこそのフォローだったりするんだけど、なんか鬱陶しいというか。その気遣いを私にされたところで、別に私の気持ちは変わりませんけど…みたいな。(私も多少、天邪鬼な部分はあるかもしれない)

 とにかくそんな感じで、母の気持ちはまあ分かるんだけど、”わざわざそこと比較しないでもよくない?”という嫌悪感がすごい。最近はもう自分の中に存在するその嫌悪感に気がついたから、”ネガティブな話題の対象 < 自分の家庭” という形で対比をされそうな雰囲気を察すると、光の速さでそう言わせる隙を作らない話題の逸らし術(なんだそれ)、つまり話術を身につけ始めた私。

 私は年々?他人を悪く言うことや蔑む言動に対しての嫌気が強まっているんだけど、父親が特にその気が強いのでこれはもう心底注意したい。いちいち突っ込むのは面倒なので、父親がそういう発言をした時には完全にスルーしている。
時代で一括りにするのはナンセンスだけど、分かりやすくする為に例えると”いかにも昭和男”って感じの父親。テレビに出てる人に対する見た目の悪口も言うし、明らかに自分より立場が下だと思っている近所の人に対しては「どこからその自信がくるのか?」と問いたくなるような上から目線発言もするし、聞きたくもないのに必然的に聞かされているこっちとしては大変不愉快極まりない。でも今更50を過ぎた人の性格なんぞ変えられないので、反面教師にして生きている。


 話題が逸れたけど、パートナーから得た気づきはなにかというと、前に述べた
他人と比較しがちな母の嫌な部分について。
パートナーも仏ではないのでもちろん愚痴を言う時もあるし、同期カップルのヒッチャカメッチャカエピソードを聞いて「我々はそう言うところがなくて良かったね…笑」って言う時ももちろんあるんだけど、なぜか一切不快に感じたことがない。「それはパートナーの言う事だからなんでも受け入れられるんだ!」と言われたらその可能性は否めないんだけど笑、一旦それは置いといて。
 なぜかと考えた結果として、そもそもパートナーは自分を高く見積もっていないから人を蔑まないという前提がありつつ、仮に上記のような発言をする時は「●●の事が悪いっていうわけじゃないけどさ、」とか「比べてどうっていう事じゃないけど、」というような話出しをする。本心ではどう思っているか置いといたとしても、その前置きを付け加えるだけで全く嫌悪感がなくなる!!凄い!
(個人的な感覚です。)

 私も友達と話している時にテンションが上がればつい他人の愚痴を言いたくなる事もあるけど、この前置きの一文はぜひ見習いたい。
ちなみに私は家族や友達と話していて、話題の中心人物の悪口?っぽくなった時、大人数であればスルーするけど 2人くらいの会話であれば「まあその時は●●だったんじゃない?」という謎のフォローを入れたくなる性分。もちろん、自分が被害者である場合やどう考えても救いようのない人間の悪口であれば全力で加担します。むしろ口火を切る勢いで最後まで喋り倒します。()

 以上、ここ最近の日常から気付いた嫌悪感を感じる部分と、パートナーを同じ状況に置き換える事で得た学びでした。

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