理不尽な世の中にどう向き合うか。3度クビなっても信条を貫いた人生―『論語』
3度免職になっても、故国にとどまった徳の人
2千数百年前、子が生きた時代よりも100年ほど前に、3度も免職になりながらも、正道を貫き続けた司法長官がいました。名は柳下恵(りゅうかけい)。
柳下恵は魯の国の賢者で、道徳の高尚な人として知られ、外交交渉の舞台でも活躍した人です。3度も罷免された彼を、列国の諸侯は競い合って、高い官位と俸給で招聘しようとした、と言われています。
その誘いを断ってまで、故国にとどまり、なぜ不遇に耐えようとしたのか。
彼が自らの心境を語った話が『論語』に載っています。
柳下恵は、魯(ろ)の司法長官に登用されたが、3度も免職になった。
ある人が、
「それでもまだこの国にとどまっているのですか」
とたずねたところ、こう答えた。
「あくまでも筋を通して仕えれば、どこの国に行っても同じ目にあうでしょう。筋を曲げるつもりなら、どうしてわざわざ父母のいる魯の国を離れることがあるでしょうか(道は曲げませんし、他国へも行きません)」
柳下恵がいかに固い信念をもって、役職に臨んでいたのかがよくわかります。ここに孔子の言葉は出てきません。それなのに、なぜ『論語』に載っているのか?
正義を貫き、故国を愛し、将来を案じていた柳下恵の人生を、孔子が尊敬し、弟子たちに常々語っていたことから、弟子が『論語』を編纂するにあたり、このエピソードは、孔子の言葉と変わらないと判断して、取り上げることにしたのでしょう。
道を直くして人に事う
正義や信条を貫く。
孔子が人の上に立つ人に求める価値観であり、理想像でもあります。
ただ、現実社会においては、それを貫くのは難しい場合があります。
どんな組織や社会にいても、権力者や統治者の意向に逆らえば、排除されたり、冷遇されてしまいます。「片道切符」という名の左遷が待っている。
不祥事があって、経営陣が大きく入れ替わり、会社の経営方針が刷新される。そんなことがおこれば、復活のチャンスが回ってくるかもしれませんが、その可能性は極めて小さい。
そうでなくても、2度も左遷や降格の憂き目にあったら、そこで頑張ろうという意欲は失せてしまうものです。組織人として、自分の将来も、家族の生活のことを考えたうえで、どう判断するのか。新天地で生きる選択ができるのなら、そのほうが賢明なのではないでしょうか。
理不尽なことは、どこの世の中にも存在します。
正義や信条を貫く。価値観がぶれないことは大切ですが、正義というのは、普遍的なものでありません。時と場合、立場によって、突如としてかわることもあります。
もちろん、柳下恵のように、信念を貫いた人には、敬意を表したい。
どう生きるのが有利かということばかり考えて、信念がぶれるのを気にしない。そんな生き方をしている人間は、尊敬に値しません。
しかしながら、YESといってやり過ごせばいいところを、NOと言い張ったがために、自分の人生や能力が花開く機会をミスミス失ってしまうのは、もったいないではありませんか。
最後に読み下し文を。
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