人はなぜ不正をするのか。止めることはできないのか。賢人の知恵から考える2ー孟子の「性善説」
なぜ人は不正をしてしまうのか。
それは、もって生まれた性質と、どう関係しているのか。
企業において、弱い立場にある社員が、組織的な圧力に屈して、自らの良心に反して、不正に加担してしまう。それを防ぐには、どうすればいいのか。
古代中国の人間観、思想をおさらいすることで、組織において立場の弱い人が不正に加担してしまう理由を探るシリーズ。
「性善説」「性悪説」以前の考え方―孔子は理想の徳として「仁」を掲げた https://note.com/lively_murre111/n/ncaa4167b5bc2
孔子の教えと孟子の「性善説」との関係について
『荀子』の「性悪説」について
「性悪説」を発展させた『韓非子』「法家」の思想
まとめ 古代中国の主な思想家の人間観
第2回
孔子の教えと孟子の「性善説」との関係について
孔子の「仁」の思想については第1回でふれました。
それを発展させて、「性善説」を唱えたのが孟子です。
『読破できない難解な本がわかる本』から、孔子と孟子の思想について説明している個所を引用します。
儒教の教えは「仁(じん)」に集約されます。
「仁」はもともと肉親間に芽生える愛を意味しました。よって、孔子においては、親兄弟への愛を重視します。(略)
孟子は孔子の思想を受け継ぎ、「仁」を高めて「仁義」としました。愛の心に正義の心がプラスされたということです。
孟子は人間が生まれつき善の心をもっていると考えました。
これを「性善説」といいます。
孟子の「性善説」は、四端(したん)説にまとめられます。
端とは「端緒」「きざし」「芽」という意味ですから、善の端に水分や養分をふんだんに与えてやれば、それがすくすくと成長して徳という実をつけるのです。
「惻隠(そくいん)の心」とは「人の不幸をみすごすことができない心」「思いやり、憐みの心」です。これが拡充されると「仁」になります。
「羞悪(しゅうお)の心」とは「悪をみすごすことができない心」であり、これが拡充されると「義」の徳となります。
同じくそれぞれを拡充していきますと、「辞譲(じじょう)の心」からは「礼」、「是非(ぜひ)の心」からは「智」の徳が完成されるのです。
『読破できない難解な本がわかる本』富増章成著をもとに再構成
戦国時代には現実にそぐわなかった孟子の主張
こうしてみてきたように、孔子の仁の思想を発展させて、孟子は「性善説」を唱えました。
しかし、彼が生きた古代中国の戦国時代は、各国が生き残りをかけで、それこそ「仁義」なき戦いを繰り広げていた時代でした。
「徳」によって国を治める、という孟子の提案を聞き入れる君主は、残念ながらいませんでした。
そのことが『史記』に記されています。
なお、孔子と孟子が思想的に近いことから、両者が「孔孟」と称されますが、それと混同して、孔子は「性善説」の人です、と口にしている人がいますが、正しくはありません。
孔子が言っているのは第1回でみたように、「性 相近し、習 相遠し」
ということです。
人の性(せい)が、善であるとも悪であるとも言っていません。
その後の環境や育ち方で、善に習えば善となり、悪(あく)に習えば悪となって、相(あい)遠(とお)ざかる、と述べています。
また、自分がいい人と見られたいから「性善説」で生きています、と言ったいい方をする人がいますが、「善なる人」が「善なる行い」をして人生を全うするわけではありません。本人の意志に反して、罪を犯したり、不正を起こすこともあるのです。不慮の交通事故で加害者になってしまうことも、その一例です。
「善」を持って生まれたのだから、それを活かすとこで、世の中や社会に貢献する「善なる人」として生きていく。それが本来意味です。
第3回は。孟子の「性善説」に対して、「性悪説」を唱えた荀子の人間観、思想をみていきます。
*連載を最後まで紹介したところで、記述内容をアップデートする可能性があります。
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