我慢の目的はどこか?
成長を目的とした我慢か?
安定を目的とした我慢か?
恐らく、多く人は安定のためでしょう。
言い換えれば、現状維持。
それ以下にならないし、それ以上にもならないことを自ら選んでいる。
わたしから見て、成長目的は自分軸。
安定目的は他人軸です。
(無責任な)評価を落としたくない。
(思考停止の)普通・常識から外れたくない。
なぜそうする?・・それは自分の居場所を守るため。
ですが、この他人軸による我慢は心身を苦しめます。その苦しみを周りはわかるはずもないし、わかろうともしない。
(結局はそれ以下になるという・・)
どんなに苦しもうが、所詮は自分に関係のない他人事として処理されます。
そんな我慢を強いる環境から移動すること。
これが心身を守る最初の手段です。
でも、仕事が・・生活が・・
点で見ると、躊躇いたくなります。
ですが、それを線で見ると、行動に移す重要性をある程度認識できるはずです。
ストレスが溜まり続けると、やがて本当に重症化する未来。
引きこもり・精神疾患・その治療で発生する医療費。
一度陥ると、終わりが見えない壮絶な闘いを強いられる。
自分を利用する他人のために我慢を続けた結果、自己犠牲という形で潰れるのです。
以前のわたしは親を中心に、他人のための人生を過ごしました。
でも、いまは自分を軸に置いた我慢をしています。
何の我慢?
いまの職場の人間関係です。
わたしがいる職場は障害者雇用のため、他人に怯えつつ隙あらば甘えてくる大人が多いです。(すべての所がそうではないでしょうが)
依存体質だったとわかるからこそ、接し方が難しい。
でも、人間を学ぶ目的があって会社員を続けているので、そこは納得しています。
その経験もあって、インプットとアウトプットを回せる。
わたしとしては、状況を逆に利用しているつもりでいます。
感情は湧くけど、行動という事実に注目。
あとで、その中身を掘り下げる。
そういう意味では、好都合と言えます。
成長目的の我慢は、後の人生を輝かせる理由のひとつである。
わたし自身の経験から、そう言い切ります。
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