ああ言えばよかったをやめたい話
イライラを紛らわせようとして色々やっても収まらない時は必ず、
「言ってきた本人に言い返せなかった」
という原因が過去にこびり付いている時だった。
これが何度も続くのはしんどいどころではない。そのうちこのイライラたちが落ちず収拾がつかなくなってしまう。
考えないようにする、気をそらす、気にしているのが時間の無駄だと思う、他に明るいことを考えた方がいい、など。
しきりに思考の行き先を変えてみても、根本にイライラがある。
しかし今日閃いたことがある。
訂正する必要なんてなかったのだ。
言われた言葉に反論の余地がある?自分は違うと言いたい?今なら伝えられる?
仮に反論できない完全な内容でも、あくまでその人の視点からの事実でありいくらでも解釈は変えられる。
大きく言えばどれだけ客観視しても、調べた人1人ごとに主観が入ってしまうこの世の中、絶対な真実などないと考えたい。
自分と違うなら、まさに価値観の違いだし、現代だからこそその意見を放っておけるのではないか。
今伝えようとするより、怒り任せに進めた行為の結果はどうなるだろう。思い通りに行かない事が上乗せされるだけじゃないか。
結局考え方の話になってしまったが、この発想で長い間捨て方に困った滞りが一気に減った。
そう、あの時のイライラは、訂正しなくていい。訂正しなくても、私の意見も正しさもそのままだ。
簡単な事だった。これで議論の時間を他に使える。
また、親しい間柄で起きた場合、できることなら茶化しながらでも「私は違うし、この否定の気持ちは変わらない」ということは伝えたいと思う。
他の人にもこの発想が通用すれば非常に喜ばしい。
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