とある夫婦の始まりから終末まで⑧End

父が旅立って1週間後に父の葬儀となった。

認知症の母を施設に迎えに行き葬儀場へ、高齢の母を移動させるのはなかなか難しい

「パパどこにいるのよ?」
「パパはあそこ」と祭壇の方を指さす。

その時は状況として父の死を理解はしたし受け入れてた(ように見えた)

母も寂しかったろう。
葬儀後も面会する度に「パパはどこ?」「実家に帰りたい」ってずっと言ってた。
あれだけ喧々諤々やっていた両親の一方がいなくなるとこうなるのか。
これが夫婦なのかとも感じました。


そして、入居時はとても元気だった母も、入居からものの半年でパパのあとを追って旅立ちました。

私の住居のそばの施設ではありましたが、何度か入退院を繰り返し、
病院からも次の入院はもう難しいかもしれませんと言われ
病院に入院するたびに弱っていく母をこれ以上苦しめたくないという気持ちも芽生え、まさに葛藤です。

病院は面会禁止ということもあり、延命は選択せず、施設で最後を看取らせてもらえるようにお願いをしました。

施設は特別にOkをもらい看取りの期間としていつでも面会できることになった。
毎日昼休み、土日は半日くらい母の下で昔の話をしながら、ニコニコ聞いている母の顔を見て過ごした。

母のおかげで僕は料理ができるし掃除もできるようになった。
「ほんとうにありがとう」と感謝を伝えたら
かすれた声で「ばーか、そんなの私が教えなくてもあんたはできてたよ」と。

母に会っている間は、泣いてはいけないと思いつつ毎日涙が止まらず、昼休み後の仕事の復帰が本当につらかったです。
そんな日々なので子供たちにも声をかけ、できるだけ亡くなる前に顔見せてほしいとお願い。
私と一緒でなくても良いので行きたいと思ってくれるなら行ってほしいという気持ちでした。

いよいよというときにも妻に「もういつ旅立ってもおかしくない」と伝えました。

妻は「私は行かなくていいの?」と聞いてきました。
「気持ちがないなら、行かなくてもいいよ」と伝えました。

妻の両親と自分の父を見送り、パートナーの母親の最後に行かないという選択支があるのだと私は少し信じられない気持ちになってしまいました。もっと素直に行ってほしいと言えばよかったです。

結局間に合わずで妻は母に顔を見せずで母は旅立っていきました。
このことも含め、父との確執との後悔(これは私が100%悪い)、
母の旅立ち其々で私の中で妻への人間性への嫌悪感となって爪痕をしっかり残してしまいました。

ここ数年でお互いの両親も旅立ち、一番上の子供も自立し、子育てもいよいよ終盤です。

義父の介護で家を空けてからは家事全般は私が対応してました。
日々の生活においてお互いに譲れない部分が多すぎて双方ともにストレスを感じてしまっていました。

衝突も増えてとてもお互いに辛い状況となりました。
衛生面の話だったので、私も我慢もしましたし受け入れ不能のところは
すべて自分でやることにしてなんとかやってきました。

そんな状況ですから私も不用意に暴言を吐き続けてました。
「なんで使ったらもとに戻せないのか?子供よりひどい」
「洗濯ものを脱ぎ捨てて放置するな、かごまで持っていけ。クズ以下だな。」
「こんな汚く使うなら、せめて使用後は掃除しろ。どんな神経してるんだ。」
「早く別々に生活したい」
ダイレクトに頭にきて「〇ね」など

振り返っても許されない暴言の数々です。

両親を失った悲しみ、後悔諸々の感情で我慢が出来なかった。
経緯及びやってきたことはあったにしても暴言を吐いたことはよくない。

暴言に加えて、妻からすると私の家事自体が妻の母の立場からの排除であると。子供たちにもそういう常識を植え付けて私を孤立させたと。

子供の行動を洗脳するなんてことはできないという話をきちんとしましたし
そんなこと意図をもってできるわけありません。ましてや家事を好き好んでやってるわけでもないですし。

そしてある週末、妻は2泊の外泊をします。
私には、「蛍見に行くから日曜日に帰ります。」と仕事に出る直前に一言だけ。

ああ、そういうことか、いい人ができたんだなと思いました。
あと5年は我慢しようと思ってましたが、お互いに頑張らない方が良いと思いました。

離婚なら離婚で良いから、離婚届にハンコ押しておいてと出がけに伝えました。
「今はオンラインでできるんだよと。」
ちょっとバカにされてると思ってしまってそっから先は妻と会話ができなかったです。

仕事も始まりますし、気持ちを切り替え金曜日を1日過ごしました。

土曜日に長女が帰ってきて、妻はどこかの誰かと蛍見に行ってると言ったら
ああ、私も誘われたけど予定が合わなかったと。
結局は、義姉(次女)の旦那さんと姪っ子と行ってたようだ。それを長女から聞かなかったら不貞を理由に離婚へ踏み切ってたでしょう。

でもだとしたらなぜ言わないのかも理解ができませんでした。
言いにくい何かがあるのだろうなと今は思います。

もう離婚準備に入ったので子供たちにも状況を説明しました。

お父さんとお母さんはどちらも好きだから別に離婚しても大丈夫と
自立した長女から言われて救われた気持ちになりました。

親を見送る際に、本当に残念な気持ちになってしまったことをきっかけに。
すべてが連鎖的に一気にリミッターを超えてしまいました。

病院から連絡を受けて高速を飛ばし、父の下へ、、、まだ少しでも話せるかもしれない。。。
あの時話せてたとしてもきっと大した内容は話せてなかったと思し、それを理由に暴言を吐いてよいということではないと理解はしている。

いろいろ踏みにじられた感情だけで行動してしまったことを反省もしている。

妻も私も両親を見送るここ数年酒量は右肩上がりに増え続け、
妻に至っては最近は週末は朝一でワインを煽ってひとたび寝て、ジョギングしてまたチューハイを飲んで寝るという生活。

流石に私は日が出てる時間からは飲みませんが、、、家事できなくなるし。

子供たちも心配してお酒を辞めるように言っても聞きませんし、私も酒量が増えてしまったのでアルコール外来に一緒に行かないか?という話をしましたがそれもかないませんでした。

最後の妻とのやり取りは

「総意が分かったので最短でココを出ていきます。
子供たちをお願いします。」

とメッセージが送られてきただけでした。

子供たちを含めた総意ということはわかったんだが、
子供たちは何も言ってない。

「総意とは何をさしているのかがわからないので、話をしよう」と言っても

「何を話すのかわからない
わかりあおうとおもってません
わたしも辛いので解放してほしい
一緒に生活できないっていってたのはそちらですよね」

私自身もこの険悪な状況がかれこれ4年近く続いているのもつらいので
無理して話がしたいわけではありません。

というわけで話をすることをあきらめました。
今なら止めれるかもしれませんが、もうその気力は残ってません。

暴言や両親の件は私の伝え方問題もあり取り返しはつかないですが、私に非があるので謝罪はしました。

が、やはり一緒に生活するのは難しいという話をしました。

財産分与さえしてくれれば他はどうでもいいと言われました。
正直分与には応じますが、完全に納得はできませんので私も弁護士を付け相手の思惑だけで動くことを避けねばなりません。

このテキストをかき始めたのも、自分自身で自分がどこで何を間違えたのか客観的に考えるため、そしていかに愚かな選択を変なプライドでし続けたかを冷静に考えるためです。

かき起こしてみてやはり思うことは、
子供と違い、夫婦は所詮他人だということ。
故に他人との距離感を誤ってはいけない。
過度な期待を持ってしまい、そうならないとなぜわかってもらえないのかと裏切られたかのように感じてしまうのは愚かだということ。
(価値観の相違とや慮れるという期待は持つべきではない。)

結婚でわかったことはそういうこと。
前向きに結婚はもういいかなと思う。

3人の子供を一緒に育ててくれた妻には感謝しつつ、子供を妻に託されたのであと数年残りの子育てを最後までやり切って自分の人生に戻れればと思ってます。

結婚でしか得られないものも多々あります。
でも、最終的には夫(父)、妻(母)である前に一人の人間です。
子供のことは最優先に考えるのが当たり前ですが、私の忍耐力不足もあり子供たちに迷惑をかけてしまうこと。これはきっと反省せねばならないなと。

子供たちにできることはすべてやっていく覚悟です。

離婚を考えているとしたら、自身の行動や言動を正当化せず、子供のために踏みとどまってくれることを祈ります。

できてない私がいうのもなんですが、、、皆様の人生に幸多からんことをお祈りいたします。

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