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雑文:変わることと変わらないこと、相手を変えるか変えないか

雑文…ほんとにまとまりないです。エッセイ?の羅列と思ってお付き合いください。


人が変わること

基本、人の変化は好きな方だと思います。
子どもの成長、発達を見たり、オリンピックやスポーツにかける人の挑戦やその背景のドキュメントを見るのが好き。“プロフェッショナル”とか、“情熱大陸”などのテレビ番組も好き。

 休日の朝、娘が雑談で“NiziUが韓国デビューした”話をし出した。プロデューサーのJ.Y.Parkさんは、日本人は成長していくのを見るのが好きだから、日本で育てて、韓国デビューするに至ったということだった。
 確かにねー。フィギュアスケートで言うと、キム・ヨナは、若干脆い時期はあったけど、完璧に仕上げていた。真央ちゃんは、大技を抱えていたのもあり、何かずっと成長物語だった。

 変化って良くなることばかりでない。いつか時代は終焉を迎えるし、世代交代も起きる。一世を風靡したアスリートのその後にも関心あり。ピークで一線を退くのは確かにかっこいいけど、いつまでも現役にこだわっている人の方が私的には好きかもしれない。そのスポーツが本当に好きなんだと感じられて。後は、いかに引導を渡せる後進が出てくるか。出てこないことには諦めもつかない。

 

自分の好みに変えること

 旦那さんが多分、奥さんのチョイスなんだろうなーという服を着ているのをみかける。おしゃれだなと思いながら、自分には出来ないなと思う。理由は2通り。まず、そんなセンスがないということ、自分の好みを押し付けるような気がすること。人様のことで言えば、奥様色に染められている旦那様は幸せそうに見えるのでいい。そんな私も、好みが揃っているんだったら、リンクコーデというのは悪くないとは思っている。

 夫婦関係というは、育ちや感覚が異なるものが共同生活するのだから、やはり大変なもので、「旦那を教育する・育てる」みたいな話もある。これも私にはむずかしい。自分でさえ、もて余しているのだから、まず自分育てに必死で、そんな最初から何かわかっているように相手に対峙することは出来ない。それに、そんな自分仕様に人を変えるんだったら、相手は別にどんな人だっていい、むしろ真っ白な存在がいいんじゃないという気もしてくる。

個性と一体化

 ここで、ちょっと「個性」について考える。
  
 昔…と書きかけて、一旦、昔っていつから?と頭をよぎる。かるく10年以上は前なので確かに昔の話。なにせ今やアラフィフの私が勤め始めた時のことだから。“ステッピングアウト”という舞台?ミュージカル?を観た。木の実ナナさんが出演していた。

 映画が元のようで、タップダンスを教える主人公と自己主張の強い生徒たち(8人)が成長変化していくストーリー。詳細はこちら⤵

プロダンサーとしての舞台経験もあるメイヴィスは、今は田舎町のカルチャースクールで素人相手にタップダンスを教えている。自己主張の強い生徒たちに手を焼き、…そんな中、突然、チャリティショーの振付と生徒たちへの出演依頼の話が舞い込んでくる。……実力も連帯感もおぼつかなかった生徒たちがメイヴィスへの信頼感とチャレンジ精神に支えられ、障害をひとつひとつ取り除き、日々の解決しない苦しみを乗り越え、変わっていく。そしてメイヴィス自身も“明日を生きる”ことを学ぶ。それは、ダンスのみならず、人生におけるステッピング・アウトだった。

ピュアマリー公式サイトより抜粋

もちろん、タップダンスシーンは見せ場で、あそこまでバラバラだった皆が揃うシーンは素晴らしかったけど、その当時の私は、最初の個性むき出しの頃のが面白かったと思い、そんな自分に意外さを感じていた。きれいに揃っているシーンを見て個性が失われてしまったと思ったくらい。
今だと違うかな。最後の一斉に揃っている中にも個性をみつけられるだろうか。

 

他人を変えるはできないけど

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

カナダの精神科医 エリック・バーンの言葉

何かと耳にして気になるこの言葉。1950年代に活躍された方のことばなのですね。

「人は変えられない」つくづく思うし、そこに費やすエネルギーと徒労を思えば、自分の行動を変える方が容易い。それで未来は変わったかな。自分を切り替えない前よりは変わっているだろうけど、自分が望む方には変わってないのかな。だって、それは結局他人を変えようとしていることだから。

INFJの傾向として、相手に尽くして、相手に合わせて、相手をダメにしてしまうところがありそう。やってしまったなの反省がある。それって変えてしまったってこと?いやいや、相手にもその気があったからでしょう。

全てを受け入れてはダメで、受け入れてなくても、態度で示してなかったら、同じこと。「え~!!」「それはないよね」と私の考えだけでない、常識を匂わせながら毅然とつき合うこと必要だったかな。やってなくはなかったと思うけど。

襟を正して取り組むと、「変わってしまったね」って思うかもしれないけど、根本の私は変わっていない。

変わることを好む人と、好まない人。変わらないために、変えるってことも必要でしょう。
人気ラーメン店が少しずつ味を変えてるってことも聞いたことあるから、そういうのと同じ。自分を守るためには少しずつ変化していかないと。




 




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