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心理学は人を救えるか

高校生くらいの頃、心理学に興味を持ちました。
その頃は、まったく知識もなかった(今もないですが)ので、心理学を学べば、人の気持ちが読めるようになるんじゃないかと思っていました。

大学生になっていろいろ心理学の本を読みましたが、どうもしっくりこなくなりました。
自分の心の中にある「無意識」によって、今の自分が規定されているとか、今の苦しみは過去のトラウマによるものだとか、そういうことがわかったとしても、じゃあ、この後何をどうすればいいのかまでは教えてくれないように感じたのです。

本気で勉強すれば、もっと違う何かが見えてくるのかとは思うのですが、肌で感じる部分で「違和感」がなくならないのです。

例えば、かつて「母子分離不安」が不登校の原因として注目されたことがありますが、たとえそれが正しかったとしても取り返しがきく者ではありません。
中学生の自分の子どもが、急に不登校になって「母子分離不安が原因です」って言われても「今更……」という気持ちになるだけでしょう。
犯人捜しをしても未来は変わらないのです。

臨床心理学は、現在の苦しみを和らげることはできますが、最終的にその癒しを「人生」につなげる「哲学」がなければクライアントを前向きにさせることはできないように思うのです。

人間はいつでも生きる意味を欲しがります。
それがないと「生きていても仕方がない」と思ってしまいます。
極論を言えば、どうせみんな死んでしまうのだから、何をやっても同じじゃないかと、心が弱っているときには考えてしまいます。

フランクルという精神科医は、人生の意味は人生から与えられると言います。
人間が自分で考える生きる意味は、どうしても主観的になってしまいます。
つまり、自分だけの目標になってしまうのです。
自分だけの目標は、自分があきらめればそれで終わりだし、生きることをあきらめることも選択の一つになってしまいます。

フランクルは、最終的な拠り所は「良心」だと言います。
私は、まだ彼の真意を完全にはつかめていません。
人間存在を超えた「良心」の声を聴けと言われても、現実味を帯びてきません。

でも、自分の心の中だけをみていることが、生きる上でさまざまな障害になるということは何となくわかります。
もともと人間は、一人では生きていけないわけですから。

私の人生が私に与えているミッションが何かを、せめて、今わの際にわかるような生き方がしたいと思います。

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