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見えない「心」をどう育てるのか

心は見えない。
その見えないものを簡単に「育てよ」という人がいる。
例えば、いじめの問題は子どもたちの心が育っていないからだと言う。
簡単に言ってくれるが、そんなことなかなかできるのではない。
そもそも、そういうことを言う人が、自分の子の心をしっかりと育てた上でそういうことを言っているとは限らない。
むしろそういう人ほど、心ってなんですかと聞いてもはっきりと答えられない気がする。

だから、何ものかわからないものを育てよと安易に言う人は信じられない。
心理学では、心という言葉を用いずに「反応」というのだそうだ。
心は目に見えないが「反応」は測定が可能だという。
そして、「反応」とは「思考、感情、行動」の三つの総称であり、分析が可能だという。
なるほどと思った。
心理学は「学問」である(当たり前だ)。
客観的な分析が可能でなければならない。「心」を「反応」とすることで可視化するわけだ。

例えば、お年寄りに席を譲る思いやりのある心を育てようとすれば、まず、「お年寄りには席を譲ろう」という思考ができるようにし、「気の毒だなあ」「辛そうだなあ」と感じる感情を育み、最後に「どうぞ」と声を掛けて実際に譲る行動に移れるようにする。
これが「心」を育てる教育だということである。

そして、お年寄りの中には自分を年寄り扱いされるのを嫌う人もいるだろうから、まず「どうぞ」と声を掛けて、確認してから席を譲るというのが「ラショナルビリーフ」(合理的な考え方)を最終目標とする。

心を深く考えれば、もっと哲学的な話が必要だ。
心理学の「反応」は、どんな行動をするかというノウハウであり。哲学ではない。
どちらかと言えばソーシャル・スキルのようなものに近いように思う。

しかしながら、まずはそういう行動が相手にどんな「反応」を引き起こすかを知ることから始めるのは重要である。

見えない「心」もこう考えると、少しは見えてくる気がする。

参考:
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/soyama/gakusyuukai/siryou/01-5kokoronokyouiku.htm

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