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100倍、身につく国語力(73)外来語篇

❤小~高校生と,母親向けのレッスン

  (1年間で国語力の悩みが解決できる!)

カタカナ語篇 ⑪
 【日本語の外来語の特徴】
 
4.外来語を 乱用する国民性
(6) 外国語の翻訳事情(その3)
 
・【恋愛という言葉】
 日本人は「恋愛」という言葉を日常
的に使い、頻繁に見聞きしているので、
何も違和感を抱かないと思われます。
しかし、これこそが明治時代にできた
翻訳語だと聞くと、きっと驚かれるの
でないでしょうか。
 
 そこで、早速、日本語には「恋」も
「愛」も昔からあった、と反論(はん
ろん)する人がいるかも知れません。
もちろん、これらの語は個々には存在
していましたが、いわゆる西欧人の
「恋愛」という概念は、日本ではわず
か100年程の時間しか経過していない

いうことになります。
 
 さて、「恋愛」というのはいうまで
もなく男と女が「愛し合う」ことです
が、日本では双方が「恋し合う、好む、
慕う、情にほだされる」というような
表現で語られることが多い
のです。英語
では “love’”というのは、今の日本人で
あれば誰でも知っている言葉ですが、
明治時代の小説では、この単語の翻訳に
苦労したようです。なぜなら、日本人は
婉曲な表現を好む傾向があり、男女の
「愛する」という感情を、「好む」(like)
という言葉に含ませて、広い意味の中で
表現することが多くあります。それは、
現在でも小説、テレビ・ドラマ、映画
などの中で、しばしば見受けられます。
 
 翻訳家が苦労した理由の一つは、英語
の “love” には精神的な意味合いがあり、
ときには神の博愛精神と直結する場合が
多く、いわゆるキリスト教の博愛主義と
結びつくことが多いためです
。その一方
で、日本語の「愛する」がきわめて個人
的であり、ときには情欲的な感情とどう
しても相容れないため、ピッタリとした
翻訳が思い浮かばず、他に方法がなく
「ラーブ(恋愛)」というように、その
ままカタカナ語で表現せざるを得なかっ
たということです。

ネットのイラストより転載


 ちなみに、「恋愛」という言葉はいっ
たいいつごろから使われるようになった
のでしょうか。幕末から明治初期の人々
によく使われた「 英華辞典」では、古く
から「 恋愛」という言葉が出てくるよう
です。日本語の辞書では、以下のように
なっています。
 
  ① 『和蘭字彙』(1855~-58年)
    …liefdeの訳語→「寵愛又
    愛欲」や「仁」
  ② 『仏語明要』(1864年) …
    amourの訳語→「恋、愛、
    恋神」
  ③ 『英和対訳袖珍辞典』
    (1862年) 
    …loveの訳語→「愛、恋、
    財宝」
  ④ 『仏和辞林』(1887年) …
    amourの訳語→「恋愛、
    鐘愛、好愛、愛、
    愛セラル々所ノ者」
 
 このように、「恋愛」は、いろんな
言葉に翻訳されまたしが、小説の主要な
テーマであったずなのに、その中では
あまり登場しなかったようです。なぜ
なら、日本は男社会であったので、それ
が主なテーマにはならなかったのでは
ないでしょうか。

 ところで、文明開化の影響は大きく、
男女間の「恋愛」はオープンになり、広
く流行しました。そして、ときには男女
の「情愛」として、「色」「恋」などと
いう卑しき表現とは区別して、高尚な
言葉として「恋愛」という言葉に当て
はめようとしたフシがあります。
 

 一方、かの有名な北村透谷は「愛恋」
という言葉を使ったものの、これは思っ
たほど流行しなかったようです。透谷
は「恋愛」を「単純なる思慕だ」と考
えており、この言葉は次第に観念化され
ていったのではないでしょうか。結局
のところ、英語の “love” は「親子」
「朋友」「上天」への愛も、一つの枠組
みで包括されてしまい、日本の伝統や
現実にうまく当てはまらず、人間の情愛
の「規範」のように扱われていく傾向に
あったようです。  少し話が混み入って
きましたが、要するに「ラーブ」はどの
ように翻訳したとしても、日本の社会の
男女間の恋愛感情が、現在のようにスト
レートに表現され、なおかつピタリと当
てはまるようになるには、長い時間が
必要だったということになります。  

 ❤愛という言葉は、現在の日本語 
 では、当たり前のように「愛して  
 いる」という言葉が男女間で頻繁
 に使われているので、まさに隔世
 (かくせい)の感がします。  

アナミズ (2024.04.24)


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