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湿潤系リビドー、お腹のポッコリは俺の美学に反する、なんてことはない、あるいはコンソメ味のサウダージ、

六月六日

ところでもう一つ。
男の子がある年頃になると下着を変える一番簡単な理由って知ってる? それはね、男の子のパンツはみんな母親が買って与えるからさ。思春期とは、下半身が母親の影響下から脱却したがる年頃ってだけの話。だろ?

橋本治『パンセⅠ 女性たちよ!』(河出書房新社)

午前十時四一分。納豆かけご飯、玄米緑茶。「マツケンサンバⅡ」が頭から離れない。こんなにいつも音楽が頭の中でぐるぐる再生されているのは俺だけではないのか、と不安になる日もあるし、ならない日もある。ついでにいうと俺はメガネレンズの汚れが気になるタチでときどき強迫症的に拭くことがある。ちょうどいまがそうなの。起床後は目をこすると目やにの乾燥したものなんかがレンズに付着しやすいのね。それが一片でも感じられると気になってあああああってなる。むかし松本人志がラジオで視界に入る鼻を意識し出すと気が変になりそうになるみたいなことを言ってたけどそれに近いかもしれない。きのう午後から金沢文圃閣に行ってきた。犀川緑地公園に行くはずが気が付けば古書店に足が向かっていたんだからオイラの古書愛は並大抵じゃない。古書依存症といったほうがいいか。買ったのは、シャーロット・アームストロング『あなたならどうしますか?』、R・クーヴァ―『ユニヴァーサル野球協会』、内田百閒『第二阿房列車』、星新一『ごたごた気流』、古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』、レイ・ブラッドベリ『黒いカーニバル』、シャーリィ・ジャクスン『たたり』、速水健朗『ラーメンと愛国』、竹熊健太郎『箆棒な人々』、園部三郎『日本人と音楽趣味』、マーヴィン・ハリス『ヒトはなぜヒトを食べたか』、赤江瀑『ニジンスキーの手』、カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』、カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か』の十四冊。しめて一四〇〇円。今回はなぜか消費税抜きだった。そういう方針にしたのか、それともただのミスか。どっちでもいいや。金沢城公園を経由して午後六時頃に帰宅。

人のいない「観光地」は美しい、

また電気を止められそうになっている爺さんに三千円を貸す。これで四万九千円。来週の金曜日(十四日)の午前十一時に必ず一括で返すと確約。もし返さなかったら首を吊るつもりだとやんわり伝える。八時ごろ、ダイス氏と南砺市の温泉へ。六五〇円で二時間ほど浸かる。ときどき軽い「嫌中嫌韓」発言をするのにはウンザリ。まともな紳士(教養人)は人前で外国の悪口を並べないもんだ。もし俺が在日韓国人三世だったらどうすんのさ。あるいは中国人の友人がいたら。そのへんのことに鈍感な人間が多すぎる。他者への最低限の敬意を忘れてはいかんよ。

向井敏『傑作の条件』(文藝春秋)を読む。
書評コラム集。いぜん『書斎の旅人』を読んで名前は知っている。いまのアパートに越して来て間もない心細い時期に読んだのでよく覚えている。谷沢永一が書評の横綱なら、丸谷才一は大関、向井敏は関脇あるいは小結といったところか。褒めたことになってないか。彼の丹念に練り上げられた文章はけっこう好きなんだけど「頂門の一針」の迫力には欠けるんだよね。もっと狂気があってもいい。松岡正剛は彼のことを「書評の鬼」なんて言うけど俺的には「書評の職人」だな。向井は伝説的同人誌「えんぴつ」に谷沢永一や開高健らとともに参加していた。開高健の単行本未収録エッセイ集『ALL MY TOMORROWSⅠ』(角川書店)にその合評会記の一部が付載されている。混沌的というほかない怪文章。

今日も歩きたいのだけど雨降りの気配がある。おとなしく図書館に行くか。冷凍ハンバーグにチーズをのせてフライパンで加熱後、焼肉のタレをかけて食う。さいきんTシャツ着ると腹にぽっこりがやや気になるんだ。まだ太ってはないが太りかけてはいるのかしら。酒のせいか、それとも食いすぎか。きのう脱衣所で測った体重は72キログラム。腹筋運動で何とかへこんでくれないか。デニムパンツがきつくなるのは嫌なんだ。愛のピストン運動。カモン、毛むくじゃらボーイ。チー牛野郎どものキンタマ。さんざめく街角。

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