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スマホいじりを悪く言いすぎお前ら、ひきこもりを全肯定したいこんな日は、非ポポタマス、クラミジア、ユーコンwea、

四月十八日

俺は奴の方にゆっくりと歩いていった。すぐそばまで行った。ぴったりくっつくと、何を読んでるかも見えた。トーマス・マン。『魔の山』。
「この男はモンダイを抱えている」奴は本を持ち上げて言った。
「どんなモンダイ?」俺は訊いた。
「退屈がゲイジュツだと思ってる」

チャールズ・ブコウスキー『パルプ』(柴田元幸・訳 筑摩書房)

午前十一時十一分。緑茶、ガーナチョコ、アーモンド。morning woodがすごいので体調良好と判断。目が覚めてからいつもの「スマホいじり」をしているとたまたま『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』というやや挑発的なタイトルの本の紹介記事に目がとまった。帯文には「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」とある。なんでも読書と労働の歴史をひもといてみた本らしい。よくある安直な「読書しようぜ」系でも「スマホ脳」系でもなさそうなので機会があれば目を通してみたい。「忙しくて本を読めない人」など私にとっては路傍の人でしかないので普段はほとんど接点がなく、だからそういう人の生態を知るには本を読むのが一番早い。きのう午後四時十五分ごろに金沢文圃閣。また独り言ジジイがいた。買った本は、谷沢永一『読書人の壺中』、バシュラール『蠟燭の焰』、武陽隠士『世事見聞録』、坪内稔典・編『漱石俳句集』、『人国記・新人国記』、E・S・モース『日本その日その日(3)』、南方熊楠『十二支考(1)』、市岡正一『徳川盛世録』、大田才次郎・編『日本児童遊戯集』の九冊。締めて1210円。このうち4冊は平凡社の東洋文庫。この叢書は法政大学出版局のウニベルシタスの次に好きである。文圃閣のガレージ店では文庫本と新書は税抜きで一冊100円、それ以外は税抜きで1冊200円(3冊で500円)なのだけど、支払いの際、(おそらく店主から会計業務を任されている)初老の女性が東洋文庫の本をその背表紙から「文庫本」と判断したので、費用が200円くらい浮いた。定義の仕方にもよるが、基本的に文庫本とはA6判(148㎜×105㎜)の出版物のことであり、叢書などを意味する「~文庫」とは区別すべきなのだけど、むこうが勝手にそう判断したのだからまあいいか。俺は悪くない。ちなみにPRESIDENT Onlineの記事によると、勃起時における日本人の平均ペニスサイズは約13.6㎝つまり136㎜だそうなので、ふつうの文庫本の縦の長さと同じくらいのペニスは巨根と呼んでもいい。
ところで今はユーチューブではデモクラシータイムスよりも「談志・陳平の言いたい放だい」のほうを好んで見ている。もう二十年くらい前のものだからライブドアだとか郵政民営化だとかが話題になっていて隔世の感がハンパない。野末陳平の調子のはずれた自分語りにしばしばイライラさせられる。談志の「乱暴なフォロー」がなければ成立しえない番組だったことだけは確か。その談志も準レギュラーだった西部邁ももう死んでいる。二人よりも年上だった陳平はまだ生きている。やはり軽薄な人間ほど長生きするんだね。
きょう(も)図書館に行きたくない。というかこのごろは散歩以外では外出したくない。外出というのは一種の「病」ではないだろうか。できれば私は「ひきこもり」になりたい。人と会うのも最小限にしたい。夜、自室でほろ酔い加減で本を読んでいるときだけ、「幸せだなァ」(加山雄三)と思える。さくや短歌をつくった。

フルチンでブラックニッカ水で割りバシュラール開いて「俺はしあわせ」

少しもいい出来ではないけど、「しあわせ」なんて俗悪な言葉を珍しく抵抗なく使えたので、わりと気に入っている。年内には歌集を編みたいぞ。もう飯食うわ。いまからカレーとハンバーグを沸騰した水で温める。そのあと新聞読んで、図書館行くか。振り込むぞ詐欺にあいたい、春の日の午後。ガラパゴス諸島で監禁されている乙女たち。エレキング救済法。ネタニヤフ星人急襲。モスクワは燃えているか。

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