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大人とはたいして忙しくなくても忙しく振る舞いたがる生き物である、

十月二四日

私はすべてに失敗した。だが、私はどんな計画も抱いたことがないのだから、このすべてとはおそらくなにものでもない。

フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』(澤田直・訳 平凡社)

午前十一時五〇分起床。FBのニュースフィード眺めを一〇分。たまにはいい書評が欲しいけど詰まらん文章ばっかり。食パン二枚(イチゴジャム&マーガリン)、紅茶。
きのうは夕方から、文圃閣ではなく、久しぶりに諸江のブック・オフへ行ってきた。かなりの遠征。往復三時間。帰りに五木寛之が約五十年前に住んでいたという東山荘の前を通る。当然もう誰も住んでいない。いつまで建ってるつもりだ。ひょっとして「聖地」保存? 当時は金沢刑務所がすぐ近くにあったらしい。いいね。前にも書いたが、俺は彼の小説はそこまで好きではないが、そのむかし、エッセイの類はめちゃくちゃ読んでいた。いまも存命だが、つねに所帯染みていないところがいい。彼は「家庭的な臭い」がよほど嫌いなんだろう。子供もいない。

妻のことを配偶者と書き続ける五木寛之が半世紀前に住んでいたアパート

買った本は、平井正『ヒトラー・ユーゲント』、三島由紀夫『青の時代』、松田青子『英子の森』、清武英利『トッカイ』、ストリントベルク『大海のほとり』、堀田善衛『スペイン断章(上)』、小林紀晴『アジアロード』、『奇妙な友情(フランスBL小説セレクション)』、李昴『眠れる美男』、パスカル・ガルニエ『パンダの理論』、『ギリシア・ローマ名言集』、『臨済録』、グリルパルツェル『ザッフォオ』、カロッサ『指導と信従』。締めて一九六〇円。『臨済録』は岩波文庫のもの。四年前実家に持って帰ってしまったので再購入。一一〇円で買えてよかった。

師はある日、普化と共にお斎に信者の家へ招かれて行った時、そこで問うた、「一本の髪の毛が大海を呑みこみ、一粒の芥子の中に須弥山を収めるというが、これは不可思議な神通力なのか、それとも本体のありのままなのか。」普化はいきなり食卓を蹴倒した。師「なんと荒っぽい!」普化「ここをどこだと思って荒っぽいの穏やかのと言うのか。」

「勘弁」

なんかい読み返しても、ここが絶頂であるという確信は揺らがない。「不可思議な神通力」は「神通妙用」で、「本体のありのまま」は「本体如然」。ずっと普化について何かまとまったものを書こうと思っているが、この人物について研究的に書くことくらい、滑稽なこともない気がする。

忍足みかん『気がつけば生保レディで地獄みた』(古書みつけ)を読む。
就活戦争で疲れ果てた末に拾ってくれた保険会社での凄惨極まる経験談。『交通誘導員ヨレヨレ日記』や『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』の類。ノルマやパワハラなど、その内情が知れて面白いことこの上ないのだが、会社のことを最後まで憎み切れない「私」の「お人好しさ(愚鈍さ)」にしょうしょうウンザリもした。いちど入社したら辛くても三年は続けるべき、という「三年神話」を愚直に信じていたくらいだから仕方ないか。「私」は「セクシャル・マイノリティ」の当事者であり、その保険会社への就職を決意したのも、会社が掲げていた「LGBTフレンドリー」の理念に惹かれてのことだった。だが内実はそれとは程遠く、「私」はすぐ幻滅させられる。このように企業などがそのイメージ向上のために「LGBT」を「利用」することを、さいきんでは「ピンクウォッシング」といったりする。「グリーンウォッシング」はその環境保護版。
保険レディときくと、新藤兼人監督による『狼』(一九五五年)という映画のこと思い出す。頭から尻尾まで「娑婆苦」で貫かれた暗い映画である。大手生命保険会社の外交員として雇われるも過酷なノルマにおわれる日々。契約が取れず解雇寸前の彼彼女らはついに現金輸送車を襲撃する計画をたてる。たしかそんなような筋だった。離職率の高さ、まずは友人や家族に勧誘させるところなどは本書とそっくり。ちなみにイギリスでは生命保険のことを「ラストラブレター」とも呼ぶそう。いま、その話を誰かにして、「そんなはずないじゃん、キレイゴト過ぎるよ」とやたら怒られてしまった夢を見たことを、思い出した。それにしても、「金が無いと生きられない」というこの呪いのような思い込みをどうしたら振り切れるのだろうか。おそらく「現代人」の不幸のたいはんはそこから来ている。引き続きこの問題にも張り付いていきたい。

もうベーコン炒めて昼飯食うわ。四時には図書館入れるかな。禅研究の原稿をちょっとは書き進めたい。ぱっくんちょぱっくんちょ。ヴィーナスのくるぶし。虎が鳴く虎が鳴く虎が鳴いたら大変だ。

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