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努力は体に悪い

ちっわっす。
なんだかんだ一週間以上これを書いています。ということはきっとちゃんと楽しんでおるんだね。私は努力とか義務とか大嫌いだから。頑張るとかいう言葉も嫌い。我慢なんて言語道断。
そもそも「我慢」というのはサンスクリット語のアスミマーナの訳語で、全部で七つあるらしい「慢」の一つらしい。ようは我執。泣きたいときは泣け。蝉をみよ。鳴くのを我慢しているか。
オギャアと生まれてこの方いったい何度「我慢しなさい」と言われたか知れないが、俺はいかなるときも我慢なんかしたくない。暑いときは脱ぎたい。寒いときは厚着になりたい。腹が減れば食いたいし、酒も飲みたい。眠たけりゃ寝たいし、チョメチョメしたけりゃホニャララしたい。
だいたい体は愉快を感じていることばかりしていれば人間は「高い地点」に行けるんじゃないですか。そこそこ「幸福」になれるのではないですか。
エピクロス先生、享楽こそ生の精髄と断じて構いませんね。過ぎたるは猶及ばざるが如しとかそんな野暮なことは言う奴はどこのどいつだ。おらんだ。
休館日の翌日である火曜日はおよそ二時にアパートを出る。
きょうでデヴィッド・グレーバー『官僚制のユートピア』を読了した。
ながらく「資本主義は歴史的必然」なんて思い込まされてきたが、こうした先鋭的なアナキスト学者の本はそんな硬直した頭脳がいい加減にほぐしてくれる。政治、主権、行政なんて言葉への先入見をいったん捨て去らないと思考の新領域はとても開拓できないと思い知る。ルールを生成する主体はルールに拘束されない極端な例として出されたどこかの王の話が妙に印象深く残った。外国から献上された銃を試すためそのへんを歩いていた臣下を撃ち殺したり、あくびをしたというだけで妻を処刑したり、いやはや明らかに悪いタイプのサイコパスじゃないか。自分が「絶対の法」だからこそ裁判は公正だったというけど、それだっていつ気まぐれで暴走するか分からない。こんな王の国に生きていなくてよかった。まだちっちゃい凡庸な為政者が幅を利かせている「我が国」のほうがマシだ。
それにしてもぜんかいの『人間狩り』の黒人リンチの話もそうだったが、こういう残酷な実例に私はよくプチトラウマを残される。ホロコーストやジェノサイドを主題にした本を続けて読んだあとはかなり気が虚ろになる。虚ろにならないと心の平衡を保てないのかも知れない。いまさらながらいちばん恐いのは人間なんだと再確認せざるを得ない。ともあれ抑鬱傾向の強まる冬季はそのへんにじゅうぶん注意した方がいいかもね。
明日からしばらく中断中の本に専念しようかしら。つまり、ジュディス・バトラー『アセンブリ』、デヴィッド・グルーバー『負債論』、ピエール・ブルデュー『パスカル的省察』、デラルド・ウィン・スー『日常生活に埋め込まれたマイクロ・アグレッション』、クラウス・テーヴェライト『男たちの妄想』あたり。いやあ、錚々たる顔ぶれ。いや本ぶれ。むふふふふ。みなさん待っててくれ。

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