見出し画像

存在論的違和感、「抱かれたい男」は例外なく優しそうだし、「抱かれたくない男」は例外なくキモい、あるいは刺激臭漂うサンダーバード、コイキングの刺身、

六月十二日

陽に乾してある絹のシャツをいじくって見て、彼は言う。
「こいつはいいな」
「そんなものを着て平気でいられるかい」――お神さんが言う。
「いられるさ」
「絹のシャツを百姓の股引と一緒に着るのかい」
「いけないのか」
「困った人だね、この人は、ほかと釣合いが取れないじゃないか。狼の尻尾は狼についてなくちゃね」

ルナアル『ぶどう畑のぶどう作り』(岸田国士・訳 岩波書店)

午後十二時七分。ソイジョイ、紅茶。暑い。ボクサーブリーフ一枚。外干ししたいから洗濯機を回す。エアコンをそろそろ試運転させた方がいいか。カビ臭い空気が出てこないか大いに心配。異物に過敏なこの体質を俺は嫌っている。だけど鈍感にはなりたくない。鈍感な男は生きるに値しないから。「繊細なのに強い男」が俺の理想。これを説明するためには一冊の本を書く必要がある。きのう午後三時から、三十度のなか、五時間近く歩いた。俺はたぶん馬鹿だ。ふつうの男なら空調の効いている図書館に行く。でも俺は普通じゃない。普通にはなりたくない。俺はあえて危険な道を選ぶ男だ。皇帝か死か。チェーザレ・ボルジア。といっても歩いたのは主として木陰の多い犀川緑地公園。やたら身を寄せ合っている二羽のカラスの写真を撮った。

ハシブトガラスか、ハシボソガラスか、

陸上部とおぼしき男子中学生が十人ほど走っていて、何度も眼と眼があった。みんな棒みたいな体。汗も綺麗。二人で走っている男子より一人で走っている男子に色気を感じた。やたら身を寄せ合っている二人の男子中学生が人目の少ない小道のベンチで抱き合ったりキスしているところも見た。ああいうのに青春を感じる。俺も中学生に戻ってああいうことをしてみたいよ。香林坊うつのみや書店で催されている古書市で本を三冊買った。金井美恵子『兎』、三井秀樹『美のジャポニズム』、森田誠吾『いろはかるたの歌』。しめて六〇〇円。

斎藤美奈子『本の本』(筑摩書房)を読む。
彼女が長年書いた書評を集めたもの。扱われている本は七〇〇冊以上。索引とかも含めて八〇〇頁以上ある大冊だが歩きながら聴く(読む)のには最適だった。当然ながら新刊本がほとんど。俺が読んだことのある本は五パーセントにも満たない。ただいずれ読みたいと思ったことのある本はたくさんあった。きのうナンシー関の『信仰の現場』を買ったのもこの書評集の影響。いま笙野頼子を読んでいるのもこの書評集の影響。きょう金井美恵子を買ったのもこの書評集の影響かも。書評は読書感想文ではない。基本的にはプロが書くべきもの。「伏線がうまく回収されて面白かったです」とかなら俺でも書ける。評判ばかりが高く内容の伴わない本を駄本と言い切る勇気がないと書評家にはなれない。その点で優れた書評家の文化的貢献度をわれわれ本好きは過小評価すべきではない。あらきょうはけっこう真面目じゃないの。俺はそんなに読むのが速くないから、他人が薦める本でもよほど食指が動かされない限りは読まない。だからせめて書評だけでも進んで読むようにはしている。それでわずかでも読んだ気になれるから。そういえば『読んでいない本について堂々と語る方法』という本があったね。もちろん読んでいないんだけど。自称・活字中毒者が苦手だと言う旨の文章があったけど大いに同感。そういうことを言いたがる奴ってだいたいどこか誇らしげだからね。病識なんかこれっぽっちもない。たぶん彼女自身がその種の人間だったからこそ、自己批判も兼ねて、そんな冷水を「読書家」に浴びせたんだ。さあ昼食。ハンバーグでいいか。チーズのせて。君をのせて。あの地平線、輝くのは、どこかに君を、隠しているから。カルピス飲んでよロンパリ娘。さなだ虫にも五分の魂。愛してるよチャコの海岸。ぼぼ様。シルクロード的ブラックボックス。全身肛門だらけの、革命児。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?