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かき氷、蜥蜴の糞、ララバイ、パンダのケツにミサイルぶちこめ、「ヨン様」教、シャワーヘッド

六月十五日

ほがらかさにみちた天使よ、ご存じですか、苦しみを、
屈辱を、悔恨を、すすり泣きを、倦怠を、
あのおぞましい夜また夜の とりとめのない恐怖が
紙屑を丸めるように心を押しつぶすのを?
ほがらかさにみちた天使よ、ご存じですか、苦しみを?

ボードレール『悪の華』「功徳の恵み」(安藤元雄・訳 集英社)

正午起床。日清チョコフレーク、グリーンティー。爺さん不在。宇宙空間からも消えてくれ。マジック・ザ・ギャザリングでいう<抹消>。三時半には横になるけどやはり寝つくのに一時間以上かかった。そのうえ飲み物を飲み過ぎたからかやたら頻尿だった。いらいらして姿勢かえればかえればかえるほど寝られなくなる。これを輾転反側という。不眠症なのか。掛け布団を夏用の薄い冷感接触タイプのものに変えたのでやや寝冷えした。いつもよりだるい。鼻水ももれる。

伊藤園のほうじ茶の個包装に新俳句大賞(恋愛編)作品が印刷されていた。

あいたくて
  あなたの夢に
      しのび込む

作者は女子高校生。凡庸だけに、こわい。そんなつもりじゃなかったのかもしれんけど。「恋」と呼ばれている不可思議心理に特有の狂気を感じる。こういう秘かな狂気、あたしは嫌いじゃない。「誰かに盗られるくらいならあなたを殺していいですか」(石川さゆり『天城越え』)くらいまでいかないと恋ではないよ。「四六時中も好きと言って」(サザンオールスターズ『真夏の果実』)くらいまでいかないと恋ではないのよ。恋とは一種の自己愛的破滅願望なのだから。

ブリュノ・ラトゥール『近代の<物神事実>崇拝について――ならびに聖像衝突』(荒金直人・訳 以文社)を読む。
「なんて挑発的な論法なんだ」「こいつは一筋縄ではいかぬぞ」というのが第一印象。最初のほうはやたら読みにくくて苦痛だったが、三〇頁あたりからだんだん慣れてきて読み進めるのが愉快でならなかった。これは人文系の本あるある。議論の輪郭がだんだん明確になってくるのね。これは暗闇で徐々に物がみえはじめること(暗順応)に似ている。フェティッシュをもじったファクティッシュ(factish)という造語が全体の鍵となる。日本語にすると「物神事実」。どうも不細工だ。<事実><物神>を区別しないではいられぬ「近代人」は、「未開人」に広くみられる<物神(フェティッシュ)>崇拝を遅れたものとみなす一方、自分たちの<物神事実(ファクティッシュ)>崇拝には無頓着だという。細菌理論から原子物理学まで、「科学的事実」に基づいた存在論を自明の事としている。ラトゥールはこの無邪気さ愚かさをあの手この手を使いながら浮かび上がらせ批判的に検討する。だからといって彼は、現実に存在する対象が社会的に構築されるものだという「構築主義者」ではない。そんな単純な話ではないから面白いのだ。ラトゥールビギナーとして、僕は本書を、「アクター・ネットワーク論入門」としても読んだ。「主体」と「客体」の二分法的認識を解体させるのはなんて大変なことなんだ、と嘆きながら読んだ。彼の著作はぜんぶ読みたい。

吉村萬壱『死者にこそふさわしいその場所』(文藝春秋)を読む。
<孤独な変態>と<孤独な狂人>しか出てこない短篇集。さびしきファルス。なにしろポール・ヴァレリー『テスト氏』からのエピグラフではじまるのだから気合が違う。なかでも「美しい二人」が気に入った。若者の勃起したペニスを「鰹節のような」と表現するのがいい。僕は、美しい若者が自己陶酔に浸る描写が好きだ。その「不毛性」「完結性」に神聖な何かを感じる。純粋自体愛。俗に「恋愛関係」と呼ばれるものは野卑な回り道に過ぎない。この著者については、以前、『哲学の蠅』という過激な「自伝作品」を読んで、魅了されていた。たしか犬をわざと投げ落として骨折させた思い出が冒頭近くで語られていたけど、「こういうこと」はこんにち文学でしかなかなか語れなくなっている。残念といえば残念。そういえば井上ひさしがむかし猫にガソリンをかけて火をつけたことがあるとどこかで書いていたな。「勇気あるなあ」と思ったのを思い出す(褒めてるわけじゃないよ)。文士とはいえ「正直」過ぎないか。このくらいの露悪趣味がないと文学(芸術)など出来ないのかも(小山田圭吾の「いじめ自慢」騒動のときもだいたいそんなことを考えた)。ご存じのとおり世の中にはバカな猫好きとアホな犬好きが多くいる。都市爆撃や死刑執行や家畜の殺処分の報道には眉ひとつ動かさないのに犬猫虐待には鬼のように怒るそんな鈍感な連中と同じ空気を俺は吸いたくない。こいつらにこそガソリンをかけて火をつけたくなる。誰にでも「邪悪性」は潜んでいる。自分にはあたかもそんなものは存在しないかのように振る舞う小市民(真性の偽善者)に比べれば、快楽殺人鬼のほうがまだ「不潔」ではない。

そろそろメシだ。図書館だ。

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