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貧者は互いに食い合う、つんのめり打法、お前のいるところ、そこが地獄だ、

十一月七日

私自身にとってもまた若年の頃からアナーキズムという一語が、何かの音楽の基調低音のようにして自分のなかで響きつづけていることを自覚しつづけて来ていた。少年の頃に、改造文庫本のバクーニン著本荘可宗訳の『神と国家』が自分にとっての、いわば枕頭の書であったこともあるのである。第一次世界大戦後に、無政府主義思想は、スペインとポルトガルだけを除いて、他のヨーロッパ世界では一斉に、と言ってよいほどに、潮が引くようにして退潮をして行ったものであった。トロツキイ、レーニンらによるボルシェビイキ革命がそのために大きな要因となったことなどは今更言うまでもないことである。

堀田善衛『スペイン断章(下)情熱の行方』「Ⅲ 無政府主義の実行について」(集英社)

午後十二時半起床。紅茶、ナビスコのリッツ。ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲(一九三五年、世界初録音)をブルートゥーススピーカーで流しながら。三か月前くらいならいまごろここで「ジジイ不在、ずっと帰ってくんな、北朝鮮の工作員にでも拉致されろ」とか書いていただろう。それにしても明け方の頻尿がひどかった。就床前ルイボスティーを飲み過ぎたか。森下翔太のヒッティングマーチがまた鳴りやまなくなっている。彼に惚れてしまっているのかも。さくやも彼の逆転タイムリーとエラーの動画ばかり見てたし。あの天然風の童顔とたくましい体つきのギャップ。抱かれたい男がまた増えたわ。

阿刀田高『猫の事件』(講談社)を読む。
ショートショート集。えらそうに点数をつけるなら六五点。ちょっと無理のあるものも多い。もっともそれは彼の作品集に限ったことではない。
ある貧乏な男が金持ち老女の愛猫を誘拐して「身代金」を得たが最後に逮捕されてしまうという表題作はなかなかいい。オチをいってしまうと老女は猫語がすっかりわかっていたのだ。こういう展開はありそうでなかった。
個人的に好きなのは「不運なシャツ」。カネダ氏はいつもその太い縞がらのワイシャツを着ていると悪い出来事にあっているような気がする。たとえばタクシーの事故や食中毒。からくも自分だけは助かっていたのだが。それでその日はべつのワイシャツを着ることにした。これで安心だと。するとすぐにダンプカーにはねられてしまう。あのシャツは「幸運のシャツ」だったのである。
「風邪とサラリーマン」はほとんど寓話。イソップやラ・フォンテーヌに近代医学の知識があればきっとこんなものを書いてただろう。二匹の風邪ビールスがいて、一匹はマジメ氏に、もう一匹はナマケ氏の体内に侵入した。マジメ氏はたしょう頭が痛くても翌日は出勤、バリバリ働いて周囲にビールスをまきちらし、彼の属する課では十人のうち九人までが風邪を引き、仕事能率はいちじるしく低下。ナマケ氏は「病気には勝てん」と自宅のベッドで身を横たえ、彼の課では何事もなかった。「日ならずして、勤務評定が始まった。マジメ氏はA、ナマケ氏はC、いつもと変らぬ査定だった」。勤勉は必ずしも公益に資するとは限らない、ということか。かといって怠惰がそのまま美徳になるわけでもないが。「アリとキリギリス(セミ)」ではキリギリス(セミ)がさいごに死んでしまう。それをあえて痛快に逆転させる「パロディ」は世に数え切れないほどある。自分はキリギリスかも知れぬと不安を抱く人間がいかに多いかということだ。そういえばだいたい次のような四コマ漫画をネット上のどこかで読んだことがある。冬を越せそうになくて困ったキリギリスがアリの家を訪ね食料をすこし分けてもらおうとする。アリ「こちらも一週間分の貯えしか無いんですよ」キリギリス「じゃあアリさんも冬を越せないじゃないですか」アリ「いやもうすぐあなたが死ぬので」。お互いに助け合い、ときに食い合いながら、貧者たちはきょうも生きている。

もうそろそろ昼飯。モヤシとニンニク炒めるさ。「強迫さん」はやや控えめか。やっぱドアの開け閉め気になるんだけどね。俺が過敏なのか、それともやつが鈍感なのか。この議論がいかに不毛であるかについてはもうこれまでに四百字詰め原稿用紙五〇〇枚分くらいは書いてきた。ひっきょう「他人は地獄」なのだ。四時には入れるかな。

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