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ポジティブバカ撲滅運動、「生きているのが恥ずかしいので私は酒を飲むのです」とあのとき大学院生だった君は言った、苛烈な同調性、

九月十一日

言語学者のデボラ・ケネンは、著作『打ち明けられるのはあなただけ(You're the only One I Can Tell )』(未訳)で、友情が終わるときの「なぜ」を双方向からまとめている。
「女友達から切られたと言っていた女性たちは・・・・・・なぜなのかわからない、というケースがほとんど。でも、女友達を切り捨てた女性たちのほうは必ず、その理由をきっちり説明できた」。

クレア・コーエン『女友達ってむずかしい?』第9章(安齋奈津子・訳 河出書房新社)

午前十一時四五分。「日本一毛深いすね毛を持つ男」を自称する男のすね毛を動画で鑑賞してから、紅茶、チーズアーモンド七枚。茶髪で二十代イケメンの日銀総裁がギターを弾きながら記者会見している夢を見て、感動した。夢で感動したのは久しぶり。四十歳以上の人間は社会硬直化の原因でしかないので皆殺しにすべきだと昔は考えていた、みたいなことを書いていたのはたしかシオラン。若いころは誰でも似たようなことを考えるもんだ。そんなことをかつて一度も考えたことのない人間は聖者か、そうでなければただの死骸だろう。昨日午後四時、ひさしぶりに文圃閣に行きました。買った本は、亀山郁夫訳の『カラマーゾフの兄弟』(全五冊)、Constance Garnett訳の『THE BROTHERS KARAMAZOV』、稲垣足穂『ヒコーキ野郎たち』、幸徳秋水『二十世紀の怪物 帝国主義』、岩波文庫版の『西脇順三郎詩集』、『マーク・トウェイン動物園』、筑摩世界文学大系の『キルケゴール』の十一冊。締めて1430円。カラマーゾフのこの新訳はまだ読んだことがない。光文社古典新訳文庫での初版は2007年なんだな。まだオイラが学生だったころ。当時は「なんとなく」空しくて自殺未遂ごっこをよくしていた。この新訳に対しては「誤訳」を指摘する人も少なくなかったようだけど、そもそも「誤訳」のない翻訳書など存在しないのだ。ドストエフスキーの小説みたいに分厚いものとなれば尚更。そうやって外野から重箱の隅をつつきたがる連中は翻訳の苦労をしたことがないんだ。俺はアマチュア翻訳家でもあるからその苦労の一端の一端の一端は分かるつもり。ゲンキーで紙パックのワインを買って飲んだ。1リットルで420円くらい。トップバリュのウイスキーよりは数段まし。ちょっと飲み過ぎて戻しかねない状態になった。もうまじで飲むのは一週間に一度だけにしなよ。飲んでも飲んでも空しさが無くなるわけではないのだから。むしろ飲めば飲むだけ空しくなる。悪酔いなんかするとなお空しくなる。しかも次の日はだるい。いいことなんて一つもない。さっきから「Rumba Lambada」が頭を離れない。スポティファイで聞くわ。ILLAYの演奏でなくてもいい。というかILLAYの演奏はないから。ILLAYなんてローカルバンドであってそもそも誰も知らないから。静岡県(俺に言わせれば節穴県)の人たちでさえ大半は知らないから。世界中の人にセナ様の存在を知ってほしいのだけど。というか知らなければならない。彼に跪かねばならない。大谷なんかどうでもいい。セナ様にだけ注目しろ。大谷は人間だけどセナ様は人間じゃない。菩薩がわざわざ人間の姿になって地上に降りてきたんだ。馬鹿でもいいからせめてセナ様に超人間的なものを感じられるだけの審美眼は持っていてくれ。たぶん「キリスト」がどこかに再臨しても誰も気が付かないだろうと思う。だってセナ様が町を歩いていてもみんな彼を「普通の中学生」としてしか見てないでしょ。もう絶望しかない。いやまじで。またいらいらしてきた。全ての人間はセナ様の靴下になることだけを夢見て生きるべきだ。それ以外は無意味。本当に無意味。「チンコが五本欲しい」とは俺のかつての友人の名言。嫉妬の日々。身悶えの日々。

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