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マルティン・ハイデガーを追いかけて

三月十五日

十二時五〇分起床。
このごろ明け方くらいからチャイムが鳴っているのに教室に戻れない系の夢をみる。どちらかというと悪夢に分類されるほうだ。学校通いはとっくの昔の話なのに。豆をレンジでチンし、それに玉ねぎたっぷりドレッシングをかけて、コーヒーを淹れる。

きのう図書館では、ハイデガー・フォームラム編集の『ハイデガー事典』(昭和堂)と『ハイデガー=レーヴィット往復書簡(1919-1973)』(法政大学出版局)を読みながら過ごした。カール・レーヴィットはハイデガーの最初期の「弟子」で、年も八歳しか違わない。だから子弟関係というほど重いものではないのかも知れない。笑福亭鶴瓶と笑福亭笑瓶みたいなものとおもえばいい。手紙でもレーヴィットはかなり遠慮がなくがんがん言いたいことを言う。反町的あるいは「POISON」的制約とはかなり縁遠い。たとえば彼はハイデガーに対してこんなことを書いている。

率直に言えば、あなたは、時にあまりにも、また、あまりにしばしば同じ個所を掘り下げすぎる。

太字部分は本文では傍点

いやいやレーヴィット君、哲学とはその異様で際限なき執着にこそあるんだよ(`・ω・´)キリッ
というマルティン兄貴の声が聞こえてきそうだけど、マルティン読者としてはつい頷いてしまう。このくらい威勢のいい教え子を持つことはさぞ教師冥利に尽きることだろう。青年哲学者(この手紙は二五歳くらい)の血気に逸った野心満々の様子が目に見えるようだ。レーヴィットには『ヘーゲルからニーチェへ』という大著があって、これは岩波文庫でも読める。「存在の問い」に憑かれたハイデガーに比べるなら、彼の小物感は否めない。ただまったくの雑魚というわけでもない。でなければハイデガーはそもそも相手にさえしなかっただろう。ともあれ、フライブルク大学教授時代のハイデガー像を知るのに貴重な「証言」を残してくれているだけでも、レーヴィットは貴重な存在だ。

ハイデガーからレーヴィットへの手紙のなかからも引用しておこう。

哲学は慰みごとではなく、私たちは哲学ゆえに滅びることがありえ、その危険を冒さないひとはいつまでも哲学にたどりつかないのです。

『ハイデガー事典』に付された詳細な年譜を読んで、いささか焦りを感じた。「西洋哲学に地殻変動を引き起こした」というあの『存在と時間』の原稿執筆開始は、なんと彼が三五のころだ。私はことし三五になった。そろそろ「いままでの思索」をまとめる時期だ。でなければ間に合わない。

星新一『おせっかいな神々』(新潮社)を読む。
彼のショート・ショート(短編より短い小説)を読むのは久しぶりだったので、凡作も含め、最後まで愉快に読めた。なかでもお気に入りは、少年時代に「困った時に開けるんだよ」と箱を渡された男の物語「箱」。読みながらカフカの「掟の門」を想起した。長編でもじゅうぶんに面白くなるアイディアをほとんどショート・ショートで発表してしまった星新一は、ほかの作家からすればずいぶん「罪作りな存在」だろう。もとより星新一は実生活においてもかなり「問題行動」の多い人だったようだけど。

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