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哀しいほどの寒さ

ますます寒くなる。年の瀬。こうしてパソコンに向かうのも辛いけど、続けている内に酒同様やめられなくなるだろう。
きょうも図書館行きました。きのうも言ったグレゴワール・シャマユー『人間狩り』を読了。著者はフーコーの再来とか言われているみたいだけどなるほど人間事象にありふれる「権力」「差別」「暴力」に切り込む鮮やかさには感心する。他の著書も訳されているなら読みたい。一九三〇年代にあった黒人リンチのくだりは残酷すぎて読みながら胸が疼いた。「白人」はいまだに「黒人」を人種的に劣等視しているのだろうか。動物に近い何かとほとんど当然のように考えているのだろうか。
空腹とこのごろ常習化している空嘔のために二階に移動。スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』を斜め読み。沈黙をめぐるアート論、シオラン論が良かった。彼女といえば『隠喩としての病』を思い浮かべる人が多いようだけど私はまだ読んでいない。気になるので図書館にあればいずれ読みたい。
尿意と空嘔を催しそうになったのでトイレ経由でふたたび三階のいつもの場所に戻り、ダン・ストーン『野蛮のハーモニー(ホロコースト史学論集)』を偶然手に取り数頁読む。訳者はジョルジュ・アガンベンの翻訳でも有名な上村忠男。みすず書房。この会社は難解な本が多い。なのに惹かれるのはなぜだ。読書修道が長くなると、嚙み応えのある本しか読むに値する気がしない。さいきん僕は「暴力」をめぐる考察に飢えている。人はただ存在しているだけで他者の排除に加担せざるを得ない。誰もが何かしらの面で〈加害者〉なのである。これに自覚的な人はどれくらいいるだろう。
ところで「蛍の光」が流れる閉館直前、よく館長を見かける。というかそもそもこの館長は終日いろんなところで見かける。なぜか今日は漫画コーナーのとこにいた。館長室(あるのかな)の椅子でふんぞり返っていないのはよろしい。ニーズはつねに現場にあるのだ。なんと仕事熱心な館長ではないか。
図書館には色気のある男子学生が多くてときどきチラ見癖の抑止が利かなくなる。抱かれたいような男だと尚更。あまり見過ぎて変に思われないように注意しないと。読むために図書館にいることを忘れるな。
なんの因果でこんなに空嘔がするんだろう。特に起床後はひどい。暴飲暴食か。それとも例のストレスか。たぶん両方だろう。自室はたしかに問題含みだ。臭いと音。でもまあいい。これが最後の集合住宅だから。そう思えばいささか感傷的にもなれるだろう。せっかくだからいまのうちに(安い)集合住宅の生活者として感じていることを当事者研究資料として精緻に書き出しておこう。強迫神経症に悩む人たちに向けていずれまとまったものを書くためにも。
もうそろそろ晩酌の続きをします。体も冷えて来たし。

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