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ネット民よ、つねに紳士たれ、

十一月八日

問題はまず食うことだ。みんなが食えるということだ。馬鹿でも無能でも、低能でも、生物である以上理屈なしに物を食う権利がある。万事それが解決されてからの話だ。腹の減っている人間にとっては、文化も、文明もヘチマもトーナスもカボチャもなんにもありよう訳がない。おまけにいくら働いても働いても、満足に飯が食えないでは頭もなにもかも混乱してくるのだ。世の中は精力絶倫で、貪慾で、狒々みたいに狡猾で、頭脳が明敏で、残忍な人間ばかりが生存の権利を恣にするところなのか? そうして病身に生まれた人間、無智無能な人間、無力の女子供、老人などには生存の権利は与えられないのか?

辻潤『ですぺら どうすればいいのか?』「文学以外」(オリオン出版社)

午後十二時五分起床。緑茶、カフェインチョコレート、素焼きアーモンド。また隣の爺さんの訪問に起こされる。やはり眠いなか上機嫌に対応するのは難しい。相手が若いイケメンなら別だろうけど。この爺さん、ボケているのかもしれない。「今月十五日にタバコ代を返す」ということを一昨日昨日そして今日とすでに三回も言いに来ている。ただ人と話したいがために「ボケたフリ」をしているだけなのだろうか。だとしたら悲し過ぎる。ちょっとこわくもある。とはいえ「認知症老人」への偏見を強化させるようなことはあまり書かないほうがいいな。

エマニュエル・トッド・他『2035年の世界地図――失われる民主主義、破裂する資本主義』(朝日新聞出版)を読む。
エマニュエル・トッド、マルクス・ガブリエル、ジャック・アタリ、ブランコ・ミラノビッチの語りを中心としたもの。それを受けての日本の学者たちによる対談も付されている。僕はトッドファンなのでトッドの名前のあるものは何でも読む。ソ連崩壊や米国金融危機を「予言」したこのフランスの歴史人口学者はやはりあまり楽観的ではない。未来の希望しか語らないのはアホばかり、と口では言わないが内心では思っていそう。彼の持論によると、高等教育を受けた人間が全人口の25%に達していたことがソ連崩壊の「本当の理由」らしい。人々が学問を身に付けると国の統治を支えている「伝統的イデオロギー」はじょじょに解体する。人々は「権威主義」に疑念を持つようになる。これいじょう体制に従順ではいられなくなって権力批判を始める。中国にはもうすでにかなりの数の高学歴者がいる。まだトッドのいう25%には達していないが、それも時間の問題。中国の指導者はつねに「人民」の決起の可能性を考慮に入れておかねばならないのだ。十四億人もいるんだから神経を使うことこの上ない。習近平ちゃんと眠れているのかな。共産主義革命の過去をもつ現代中国には根強い平等主義的な価値観があるのだ。
ブランコ・ミラノビッチの『大不平等』(みすず書房)はまだ読んでいない。みすず書房は俺の大好きな出版社のひとつなんだけど。先進国における中間層の所得が伸び悩んだことを示す「エレファントカーブ」はしばしば「トランプ現象」の原因を説明するのに用いられている。
ジャック・アタリには親近感を持っている。『1492 西欧文明の世界支配』(ちくま学芸文庫)がいつも枕の側にあるから。「人は非暴力的であるべきだ」という価値観を学ばなければならない、と語る彼には同感します。人はただ存在しているだけで暴力的にならざるを得ない生き物だから。私は自主的な人類絶滅(voluntary human extinction)は「倫理的に正当」だと判断しているが、これが人々の「直観」に反するものであることもじゅうぶんに理解している。いまは個々人の<非暴力志向>がより強くなることを願うばかり。
マルクス・ガブリエルのSNS批判はいちおう傾聴には値する。彼は「コロナ禍」にソーシャルメディアのアカウントをぜんぶ消したと言う。親しい知識人が過激化していく様子に心底ウンザリしたらしい。多くの人にとってネットは「たしょう暴れてもいいところ」になっている。匿名利用なら尚更。ただ、ネット上の言論空間についてはもうすでに批判が出まくっていて、なにをいっても陳腐にしか響かないのだ。そういえば佐藤優もSNSは一切使わないと公言している。「テレビを見てない自慢」のつぎは「SNSをやらない自慢」が流行るかも。

もう飯食うわ。にしんの蒲焼。三時半には入れるか。

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