「ツイてるひと」 (短編小説)
「おい、またお前が売り上げトップなのか? そろそろどんな魔法があるのか教えろよ」
メタボ気味の同期の工藤が、肩を組みながらタバコとコーヒーくさい息を首元に掛けてくる。
肩を組んできた脇から、汗の臭いが鼻腔を突いた。よれて折り目の消えたスーツが緩んだ身体を包むのに、切実な悲鳴を上げていた。
-----それだから、お客の玄関先で門前払いを喰らうんだよ------
「今度、飯おごるからさ、聞いてんのか」
背中にかかる声に、振り返らず軽く手を上げて会社を後にした。
ツイていた。
昔から、これといって苦労をしたことがない。当然、努力もしなくてよかった。
欲しいモノや必要なモノは、なぜか向こうからやってきた。 偶然が偶然を呼んで自分のものになるのだ。
行くつもりもなかった大学にも、入試当日の記録的な大雪と新型感染症の猛威で定員割れになり棚ぼた的に入れた。 大学を出てあてもなくフラフラと暮らしていたが、別段困ったことなどない。望めば全てのものが手に入ることに飽きていた。
そんな中、知り合いの紹介で入ったのが今の会社である。
“ ヒマラヤの山頂にある霊廟に、わずかに残る古代からの最強の地脈。ここに残された石には不思議な力が宿るという。この石を枕に入れ眠ると、頭痛、肩こり、腰痛は言うに及ばず、不治の病にも効くという。開運にも効果があり、出世や宝くじなど幸運を引き寄せる。 ダイエットにも…… ”
つまりは、詐欺である。
原価の掛からない、ただの石をまことしやかに売るだけ。 なんにもセールスなどしていなくても、これが笑ってしまうぐらい売れた。
住宅街をふらりと歩き、どこでも適当にチャイムを押せば、向こうから買ってくれるのだ。 容姿も十人並みなのに、未だもって不思議だ。
突如、視界は水色レースで覆われた。
「あ、すいませーん。 大丈夫ですか。」
落ちてきた女性用下着の目隠しを取り、声のした方を探すと、マンションのベランダで半身を乗り出して謝る女性が見えた。 入居に数億円はかかるとも云われる高級マンションの麗若き女性。
どうやら、ツイてるみたいだ。
「……と、冷え性やご近所のトラブルにも効いたと、お手紙をいただいてます」
自分でも何を言っているのか判らないが、いつもの営業トークが自動再生で口から出てきた。
眼に映るベランダの君は、漆黒の流れる髪に気品漂う顔、楚々としたとした佇まいでソファーで話に聞き入ってる。
その濡れた瞳に吸い込まれそうになる。
見るからに高い応接セットで、腰がどこまでも沈んでいきそうなソファー。
テーブルに出されたカップからアールグレイの香りが微かに漂い、彼女に新たな色を足していた。
「どうでしょう、旦那様とおひとつずつ購入されては」
くすっと手で口元を隠して笑った彼女。
「結婚してるように見えます?」
「あ、いえ、そんなにお綺麗なのに…… あ、いや失礼」
「まぁ、お上手ですのね。 でも“ 独身 ”です」
ますますツイてるようだ。
「あ」
おかわりを持って来た彼女が、つまずいた拍子に俺の太ももにアールグレイの香りを付け加えた。遅れて、それが熱湯だったんだと思い知らされた。
「ご、ごめんなさいっ、 早く脱いでください、シミになっちゃいます」
ベルトを外しながら、自分のツキ加減を神様に感謝する方法を真剣に考えていた。下半身はパンツだけと云う姿で、彼女が濡れタオルで拭くままにしている。
少し涙ぐみながら、拭いている以外の手も、何故か俺の太ももを擦っている。
ツイてる……
ここは一気に畳み掛けて決めてしまおう。 契約も彼女も。
「もう大丈夫ですから。 それでですね……」
「ごめんなさい。 このままお帰し出来ないですわ…… ちょうど良かった、うちに換えのスーツがあるんですの」
言い終わるか終わらない内に、彼女がすっくと立ち、ひと抱えのスーツを持って帰って来た。
「どうぞ、お着けになってください」
見るからに高級そうな光沢のスーツ上下が、応接セットのテーブルに所狭しと積み重ねられている。
「あら、やっぱり思った通りピッタリ! こちらはどう? 時計にもかかっていたのね、ちょっと待ってて」
「これなんかどう? これね、スイスのメーカー直売でお安いのよ、こっちなんかいいんじゃないかしら」
今度は大きなアタッシュケースを抱えて、次々と何やら出してくる。
「これ、うちの彼も使ってるのよ、ほら」
目線を追って行くと、いくつかの写真立てがあった。
輸入雑貨らしい凝った彫刻のフレームの中で、太陽の下、明るく笑って並んで写る彼女と「うちの彼」。
艶かしいスタイルを包んだ鮮やかなスカイブルーのビキニの彼女より、もっと鮮やかな彼に眼を奪われた。
高級時計が鎮座する腕と背中の、その鮮やかな「和風の絵」に。
「素敵じゃない! ローン用紙に記入したら、そのままお持ちになっていいから。 ヤケドになっちゃうかしら……、こんな時のために災害保険に入っておいたらいいわ。 お安くしておくから」
急な展開にモヤがかかったままの頭に、電子音が響いた。
「彼が帰って来たみたい」
超が付く美人の彼女の前の、目隠しだった水色のレースの下着と下半身パンツ一枚の男。
勇壮な「絵」を背負った彼に、何て言ったら信用されるだろう……
「あなた、本当にツイてるわ! こんな偶然で出会ったんですもん。 さ、ここにサインして」
俺はツイていた。
出口の消えた迷路でつぶやいた。
さて、本当にツイていたのは……
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