「拝啓、ぼく様」 (短編小説)
厳しい冬の反動のように、中国山脈の裏側の夏は活き活きと主張する。
親から祖母の家に預けられて楽しくはあったのだが、いつもどこかピースのひと欠片が見当たらなかった。
祖母の家は繁忙期に差し掛かってきた稲作農家だったので、日中はその手伝いが終わると家の中で留守番することが多い。
幼稚園児には難しい本ばかりの書庫があり、どんな本でも好きに読んでいいと言われていた。
早乙女貢、山田風太郎、横溝正史、池波正太郎、大藪春彦など懸命に漢字辞典や国語辞典を見ながら読んでいるといった風変わりな子だったと思う。
本を漁っていると一枚のハガキが出てきた。
いつしかの年賀状の残りが本棚に紛れていたのだろう。しばらく手に取って眺めていると、心の奥で何かがはまった音がした。
手紙を書こう。
それも自分自身に。
「はいけい
げんきですか。
ぼくはげんきです。
きのうそうめんをたべました」
過疎化がじわりと進みつつある田舎の町でポストがあるのは、5、6km離れた小学校前。
それから数日、手紙が届くまで毎日が楽しみで仕方ないのだ。
命というべき水を張り真新しい緑が並んだ田んぼに、真っ青な空に流れる雲が写っている。
その水面に、くぐもった排気音を敷きながら赤いバイクが走ってくる。
縁側で読んでいた本を閉じ、大きな下駄をつっかけて急いで玄関から門まで走っていくと、郵便配達の男性がバイクの前に付いた黒いカバンから仕分けた手紙を出した。
「はい、きみにかな」
手渡された手紙には、確かに見慣れた字が書きかた鉛筆で「たかひこさま」と書いてある。
大人と同じことをしているという興奮と、世界で消えていきそうな恐怖を抱えていた自分に、自分が書いたのではあるが手紙という意思が自分を目指して来たことがうれしかった。
「ふふっ、きみはきのう食べたんじゃね。 ぼくは4日前だったんよ」
それから、未来の自分に手紙を書くことが楽しくなってきた。
祖母はどこか興奮している姿を見ると、四辺が黄ばんだハガキをたくさん出してきてくれた。
「きょうはたんぼの草かりをしました。
へびがでて、あたまがさんかくだからどくへびです」
「あしたは、かわでやまめをつります」
など、日常のなんでもないことをつらつらと書いた。
気持ちを誰よりも分かち合えることは間違いない。
何せ自分自身なのだから。
それが続いたある日、ふと考えてみた。
差出人が自分自身では、どこか興醒めではないか。
自分ではない誰かから来る手紙こそ、本当に欲しいものではなかったか。
しばらく考えた後、一生懸命書いてみた。
「はいけい
たかひこさま。
げんきですか。
ごめんなさい。
はやくあいたいです。
おかあさん」
自分で書いた手紙ではあるが早く見たいような、禁忌を犯した行為だから二度と見たくないような不思議な気分で数日を過ごした。
「はい、今日はたくさん来てるよ」
配達員の陽に焼けた腕に白い手袋が今日は眩しい。
自分は一枚しか書いていないハズなのだが、手許には三枚の手紙があった。
一枚は自分が書いた、見慣れたえんぴつの字。
もう二枚は、少し癖はあるが達筆な字が、難しそうにひらがなを使って書いてあった。
文面の多くはやや崩してあったので読めなかったが、最後の一文は幼い自分にも解った。
「ごめんね ごめんね たか」
祖母の字だった。
祖母は手紙を出しに行くと預かってくれた時に内容が眼についたのだろう。
祖母には、両親と暮らせない想いを決して言わないと決めていたのに、手紙という形で知られてしまった。
それでどれほど祖母は、この状況を申し訳なく思ったことだろう。
手紙を持って、誰にも聞かれないように納屋で泣いた。
泣かせるより、泣いたほうがいい。
それからは自分自身に手紙を書くことを辞めた。
短い夏が風に運ばれて去っていった。
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