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「永い夜」 (短編小説)

「お待たせしました、ジンライムです」
8席ほどのバーカウンターに座る2人組のサラリーマン風の男達にカクテルを出す。
仕事柄、バーによく出入りするので、どうにか作り方は知っていた。
2人組のサラリーマンがそれぞれ口に運ぶ。
何か変なのか、お互いチラリと目線を合わせても何も言わない。
何か違っていたのだろうか……。

「マスター、何かつまめるものない?」
急いで視線をメニューに落とす。
ナポリタン、カルボナーラ、ぺペロンチーノ、ジェノバ風ピザ、コブサラダ、アスパラのアーリオオーリオ……。
くそっ、いろんな料理が載ってやがる。
最後の「アーリオなんとか」にいたっては想像もつかない。
カウンターの下にある冷蔵庫には、卵をはじめ様々な肉やソーセージ、魚の切り身やチーズが入っていた。

しゃがんだ姿勢でカウンターの向こうを盗み見る。
どうも2人組のサラリーマンがコソコソと話をしている。

不審に思われてしまったのか。
いちばん簡単そうなナポリタンを作り出すと、まな板の上に出したピーマンとケチャップを見て気付いたのか向かって右の中年風の男がポツリと言った。
「いつものもタップリ入れて」

何だ、いつもの。
早鐘を打つ心臓に呼吸が苦しいのも、変装も兼ねて用いたマスクのせいだけではないだろう。

目の前に出されたナポリタンを凝視して2人組はしばらく固まっていたような気がした。

ベーコンではなかったのか……。
ヤツはいつも何を入れてたんだ。

「ちょっとトイレ……」
左奥の黒い扉に向かおうとメガネの若い男が席を立とうとした。
「た、 ただいま故障してまして……」
今、トイレに入られて、この店のマスターの死体を見つかる訳にはいかない。


バーを専門にした空き巣をしている自分は、鉢合わせになったマスターを衝動的にアイスピックで刺してしまった。
地下にあるこのバーから逃げようとすると、入り口の階段を客らしき2人組が降りてくるのが見えた。
とっさに死体をトイレに押し込み、カウンター内にいる言い訳を必死に思いめぐらせたのだ……。


「何か、失礼なことがありましたでしょうか」
ほとんど手つかずのナポリタンを残し、会計して出ようとする2人組の男に思いきって聞いてみた。
カウンターの上に注がれた視線を感じたのか、中年風の男がせわしなく詫びた。


「い、いや……、いつもの味だったけど、さっき食べて来たんだ……」
男たちが出るとドアに付けた鐘が鳴り、夜の外気から隔離されると一気に疲れが出て来た。
一刻も早くこの場所を去りたいところだが、怪しまれないように手袋を外して接客まがいのことをしてしまった。
すべての指紋を消さなければならない。
何を触ったのか緊張から覚えてないので、可能性のあるものすべて、つまり店内全体になる。

この夜は長くなりそうだ……。




「あれ、あいつじゃないな」
店を出た2人組のサラリーマンのうち、中年風の男が諦めたように言った。
オーダーに隠した暗号である言葉にも反応しないし、仲間からの情報と何か違う。
「店の地下に金を保管してたのに、まさか本物のマスターがいるとはな……」

細いタバコをくわえると同時に若い男が手をかざしながらライターを出した。

深く吸い込み、流れるタクシーの空車の灯りを見ながら意を決したようにスーツの懐に手を滑らせる。

「あぁ、俺だ。 やはりあの情報では確認出来なかった。 申し訳ないがそこにいる全員で今すぐ確認に向かってくれ」

もうすぐ一生を何回費やしても使いきれない金が手に入るのだ。
もう一度、肺の奥まで深く吸い、言い聞かせるように大きく紫煙を吐き出した。

長い夜になりそうだ。




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