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小さな戦地

6月23日。慰霊の日。
簡単にいうと「沖縄での終戦記念日」なんだと子供の頃は思ってました(学校でもそう教わった)
しかし、研究が進むにつれて現在はそのような認識では無く「沖縄での組織的な戦闘が終わった日」というのが正しい認識に変わりつつあるようです。
そのちょっと前までは「牛島司令官が自決した日」という認識も強く広まってましたが、どうやらそれも研究が進むにつれて事実とは違うらしく、正確には6月22日なんだそうです。

前置きが長くなりましたが、子供の頃に学校で学んだ沖縄戦だけでは
全てを知ることは出来ず、大人になってから改めて学び、知ることのほうが多いということに気がつきました。
平和の礎に大叔母、大叔父の名前が刻まれていますが、6年前に行ったのが最後で最近は訪れていません。
そこに行って手を合わせるのも、またやらないとな‥と思いつつも
とある場所の存在を最近知りました。

それは那覇新都心にある「安里52高地」です。
米軍からはシュガーローフと呼ばれていたそうです。
今ではショッピングモールや高層ビルが立ち並ぶ一帯に、シュガーローフはひっそりと静かに佇んでいました。
上には貯水タンクも見えて、安里配給池となっているようです。
ここは沖縄戦当時は、かなりの激戦地として知られています。
沖縄戦の激戦地といえば宜野湾の嘉数高台や浦添の前田高地なども有名で
特に前田高地は映画にもなったハクソー・リッジで知られるように、ノコギリのような切り立った崖でした。
ここ安里52高地、シュガーローフはそんなノコギリのような崖でもなく、決して高台と言えるほどの高さでもないのに
日本軍が約1週間ほど粘ったということで、その時の泥沼の戦闘の様子は簡単に想像することはできません。
攻め入る側も、待ち伏せする側も恐怖でしかなかったと思います。
そんな恐ろしい丘が、77年経った今も、かろうじて残りつつ、都会の暮らしの中に溶け込んでおり
地元の人も、もしかしたら普段は忘れているかもしれません。
若い世代は何も知らない可能性すらあります。

急な階段を上がると、展望台として綺麗に整備もされているようですが
ホームレスが住み着いているという噂もあり、今回は周りから見渡すだけにしました。
日差しが暑かったので、日傘を差しながら歩いていたのですが
安里52高地前にくると、突如、強風が吹きました。安里52高地とビルの間から凄い風が通り、日傘が完全にひっくり返ってしまったので
傘は閉まって、そのまま歩きました。
先程までは全く風は弱かったのに、急に風がざわめいて不思議なものを感じた瞬間でした。
ここで若くして亡くなった兵士たちの魂のざわめきだったのか‥定かではありませんが
今日は展望台まで登らなくて正解だったかもしれません。


そして、近くの真嘉比南公園にはハーフムーンヒルの面影が少しだけ残ってるということで
車で探してみましたが、駐車場がなく公園に足を踏み入れることは断念しました。
また、公園前にバイクを停めて大きな荷物を持った怪しい男がいたので車から降りるのを躊躇しました。


勝手に今まで真嘉比という土地を、開拓された平坦な土地だと思い込んでいましたが
改めて周囲を車で通ってみて、緩やかな坂になっていることに気がつきました。
ハーフムーンヒルだったと思われる公園は、凄く小さな公園で(公園と呼べないほど小さいかも)
やはり急な丘になっています。
日本軍の遺品が一部展示されているとも聞きましたが、車から降りてないので確認することは出来ず。
またの機会に訪れてみたいと思います。

ハーフムーンヒルもシュガーローフと同じく激戦地だったようですが
今では完全に住宅街や小学校に囲まれており、戦地だと言わなければ誰も気づかないくらい風景に馴染んでいます。

あの当時、沖縄に来た日本兵は心の底から死を願ってやってきたわけではないと思う。
しかし結果は、ほとんどの人が玉砕という形で命を落としていった。
自分の心根とは真逆の行動を取りながら散っていくのはあまりにも辛すぎる。
その人たちの魂が、現在の那覇新都心や真嘉比の様子を見て、こんなにも平和になったのだと知って安心して眠っているだろうと私は信じたい。
もし、まだ癒えない霊魂があるならば、大丈夫ですよ、これからは私たちが平和を守っていきますので、生まれ変わって幸せな人生を歩んでください、と伝えたい。

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