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寂しい10月が終わりゆく

3月に亡くなった母の喪中はがきを注文した。

母が亡くなる1週間前には、母の弟である、私にとっては叔父が逝った。

2人とも長く患っていたから、もしかしたら、
叔父が姉である母を迎えに来たのだろうか・・と、残された私たちはささやき合った。


棺の中の母は、痩せて変わっていたけれど
美しい母の面影は残っていた。

私と母には血の繋がりはない。

母は、私が12歳の時に、父が再婚した人だ。


母と暮らしたのは18歳で実家を離れるまでの6年ほど。
穏やかな優しいひとだった。


生まれた場所を離れて、今住むこの地で就職、結婚した私は数えるほどしか
帰郷しなかった。

いつしか故郷は、
私にとっては帰る場所、ホッと心落ち着く場所ではなくなってしまった。
あそこは、父と母のホームグラウンド。

そんなこと、改めて思っていたわけではないけれど、
どこか居心地が悪く
そわそわと、心ざわめく場所だった。

どうしても帰る気持ちが進まなかった。
だから帰らなかった。
いや、
帰れなかったのかな。

父も母も好きだったし、決して仲が悪かったわけじゃない。


10月、両親が暮らした家を、兄姉たちと片付けた。

5年もの間、住む人のなかった家は傷んでいて
それでも、2人が暮らした物たちであふれかえっていた。

5年前に父が逝って、すぐに倒れた母は施設と病院を行き来した。
「家に帰りたい」と
望んだけれど、叶わなかった。


姉と2人、黙々と作業して、数えきれないほどのゴミ袋ができた。
兄は周辺の掃除、いつまでやっても果てがない。
両親が生きた場所が、少しずつ変わっていく。

家の中がきれいになったら、家を解体するのだと兄が言う。
姉も私も、うなづく。


玄関の脇に咲いていた彼岸花に
3日間、同じアゲハ蝶がやってきた。

羽根はボロボロだったけれど、その姿は美しく
ひらひらと
いつまでも庭を舞っていた。

姉が「この蝶、お母さんかも知れんねェ・・」と言った。

「そうやねェ きっと。
お父さんが死んだ時は5日間くらい、
でっかいバッタが部屋の中におったしね」と私。

「バッタか。お義父さんらしいわ」

姉は母の一人娘だ。
他人なのに、なぜか兄より、馬が合う。


遠方に住む私は、来春の母の一周忌と父の七回忌を兼ねた法要の時に
また、片付けに帰る約束をして故郷を後にした。


瀬戸大橋を渡り、岡山を過ぎたころに雨が降り出した。

故郷も雨やろうか・・。


あのアゲハ蝶が、ちゃんと雨やどりできる場所にいてるといい。

そんな事を思った。










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